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飛騨にありて福島を思う

木工×針葉樹資源 ①針葉樹を使うということ

 

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福島県棚倉町の間伐展示林



スギを始めとした針葉樹資源と木工を結び付ける前に、日本における森林資源の現状に少し触れておく。

日本の国土面積は約3,800万ha(1haは100m×100m四方の面積)で、その約7割に相当する2,500万haが森林だ。そのうち約4割が、戦後に植えられた針葉樹人工林である。

1950年ごろから戦後復興の色合いが濃くなり、住宅建築等の木材需要が増えるとともに、石油や天然ガス等の化石燃料へのシフトが始まる。すると、通直で成長の早い針葉樹の需要が高まり、これまで薪や炭などとして有効利用されてきた広葉樹への需要は少しずつ無くなっていく。このような時代背景から推し進められた、広葉樹林の伐採および針葉樹林への転換を「拡大造林」という。

しかし、同じ時期に、増え続ける木材需要に応えるために日本は「木材輸入自由化」を行った。するとどうなったか。日本の林業よりもはるかに大きな規模で生産される丸太は価格も安く、どんどん日本へ輸入されるようになった。

また、為替の世界でも変化があり、かつて1ドル=360円だった固定レートが撤廃され、今のような1ドル=110円くらいを前後する変動相場制になった。つまり円高が進んだことで、輸入品の入手がさらに容易になっていった。

こうなると木材輸入は止まらない。せっかく植えた日本の針葉樹資源は収穫されることが無くなっていき、間伐などやるべき整備が行われなくなっていき、現在に至るというわけである。

それでも国産材需要という観点で見れば日本は底を脱した。平成14年に木材自給率は18.8%と過去最低の数字を叩き出したが、最新の数字では36.6%だ(平成30年度)。効率的な伐採システムや高性能な林業機械の開発、最近ではICT技術を活用する試みなど、日本の林業シーンは少しずつ変わっている最中だ。

 

前置きが長くなったが、こういった背景を踏まえて、自分がこれからやっていきたいことの一つが、

「期待をして植えたはずが、思ったようには使われず燻っている日本の針葉樹資源を、木工という分野で少しでも消費していきたい」

ということだ。

ところがこれはなかなか簡単なことではないようだ。家具に使われる木材は広葉樹がメインであり、スギやヒノキといった針葉樹資源は、強度面の問題などから用いられてこなかった歴史がある。加工には高度な技術が必要なのは間違いない。

それでも今の日本には、針葉樹による家具つくりを実現している方々がたくさんいる。そしてそういった方々に共通する特徴は、針葉樹での家具作りにとどまらず、木材が生み出される森を育むことや、その地域の振興にまでつながっていることだ。

 

次回は、各種事例を紹介していきたい。

 

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福島県石川郡という地域について

誰もが、自分の価値観や考え方を方向付けるような原体験を持っていることだろう。

僕の場合、原体験のほとんどを、生まれ故郷である福島県石川郡石川町とその周辺地域で経験してきた。この石川郡という地域は、自分の人格形成や進路決定に深く関わっている。

この地域のことを少しだけ紹介したい。

(有り余る熱意による長文注意!) 

 

石川郡は福島県の南東部にあり、石川町、浅川町、古殿町、平田村、玉川村の3町2村で構成されている。中通り地方と浜通り地方を隔てる阿武隈高地のふもとに位置し、いずれの町村も主な基幹産業は農業だ。

各町村は最寄りの都市部(郡山市白河市)から車で30分~1時間程度の距離にあり、一部は高速道路や電車も通っている。

続いて、各町村の特徴を簡単にご紹介。

 

1.石川町(いしかわまち)

人口約15,000人。

僕の地元。石川郡の中心をなす町。学校、スーパー、病院など、暮らしに必要な環境が整っていて、電車と高速道路も通っている。割と暮らしやすいと思う。

町内を流れる今出川沿いの桜並木がとても綺麗。駅伝で有名な「学法石川高校」(通称がくせき)がある。母畑温泉も有名だが僕は入ったことはない。近々道の駅ができるらしい。最近ホームページが見やすくなった。

 

2.浅川町(あさかわまち)

人口約6,300人。

石川郡の南西に位置する、田園風景がきれいな町。

花火の里として有名で、江戸時代から続く「浅川の花火」は毎年3万人もの人が見に訪れる。会場からかなり離れた僕の実家からも花火が見え、音もはっきりと聞こえる。一度間近で見てみたい。

県南地方の中心都市である白河市にも近く、在来線「水郡線」で郡山にも行ける。

スポ少のサッカー、中学部活の野球でよく訪れた町。しかしここでスポーツするとだいたい雨が降った記憶が・・・

 

3.古殿町(ふるどのまち)

人口約5,100人。

石川郡の東に位置する山間の町。阿武隈高地の色合いが濃い。平成6年に石川郡に編入した歴史がある。

伝統行事の流鏑馬が有名で、幼いころに見に行った。

また、山間の町ということでスギを主体とした森林資源に恵まれていて、将来にわたって健全な森を守り育てていこうという「千年の森育成事業」を掲げている。の割にはあまり町として推してない気が・・・

町として、町有林の森林認証(SGEC)を取得したり、古殿スギの強度試験を実施したり(試験の結果、古殿スギは福島県産のほかのスギと比較して、たわみにくいことが分かったらしい)、チェーンソーアート文化祭を開催したりと、林業・木材産業に明るい町であるはず。個人的にはもっと前面に押し出していいことだと思っている。

 

4.平田村(ひらたむら)

人口約5,900人。

石川郡の北東部に位置する。こちらも阿武隈高地の色が強い、山間の町である。

芝桜の名所として有名な「ジュピアランドひらた」には毎年多くの人が訪れる。また、村のシンボルともいえる蓬田岳という山は、僕が生まれて初めて登った山で、登山を好きになるきっかけになった。また、石川町、平田村の境のあたりは、小さいころからの山菜採りの場であった。

近年、ハバネロを使って村おこしをしており、日本一辛い村を目指しているらしい。

 

5.玉川村(たまかわむら)

人口約6,500人。

石川郡の北西部に位置する。東部は阿武隈高地らしい山地形だが、西部は平野地形で、福島空港がある。須賀川市郡山市など、福島県中央の都市部に近いのが特徴。今後移住者が増えそうな予感。

キウイの仲間「さるなし」が名産品で、さるなしワインがおすすめ。今年度から村内にあった2つの中学校が統合され、玉川中学校が誕生した。

 

僕はこの石川郡が好きだ。特に、阿武隈高地の深い山並とそこにある暮らしが、頭から離れない。

将来、石川郡に根を下ろすかは分からない。けれども、自分が生まれ育ったこの地域で、木工でなにか面白いことが出来ないかと考えていたりする。

 

特に、具体的に考えているのが、スギ資源の町、古殿町で、スギを使って何かできないかということ。この青写真についてはまた次回。

 

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説得力のある登山自粛要請を望む

2020年4月20日付で日本の山岳4団体(注1)が、山岳スポーツの自粛要請文を共同で出した。それから約1か月が経過。緊急事態宣言の解除を受けて、山岳4団体は改めて山岳スポーツの自粛に関する声明文を発表した。

(以下、山岳4団体からの声明文(2020年5月18日付))

https://www.jma-sangaku.or.jp/information/detail.php?res_id=1589783127-297728

 

内容を要約すると、

「緊急事態宣言の続いている都道府県での山岳スポーツは、引き続き自粛をお願いします」というものだ。

ただし、5月25日付で、全国的な緊急事態宣言の解除が表明されたので、近いうちにまた同団体から声明文が出ることだろう。

 

今回言いたいことは、声明文の文章力について。

4月に文章をを出した時から気になっていたのだが、なぜこの団体の文章からは「登山によりケガをする⇒救助隊や医療機関に余計な負担がかかる、および関係者への感染リスクが高まる」という大事な部分が抜け落ちているのだろうか。

確かにこんなことはわざわざ書かなくとも、少し考えれば誰でも分かることではあるのだが、これが登山自粛を求める最大の理由なのだから、書かない理由がない。書いてあるのとないのとでは、自粛要請文としての説得力が違う。4団体も集まって誰も指摘しなかったのだろうか・・・

 

4月当初の自粛要請文はもっと不思議な文章になっている。

 

「都市を離れ、清浄な空気と自然を求めての登山やクライミング行為は、出先の方々への感染を広め、山岳スポーツ愛好者自身が感染するリスクを高めます。」(4月20日付文章より抜粋)

 

「3密状態が発生しやすい都市部を離れ、オープンエアーな自然を満喫することは感染につながる」という、摩訶不思議な理論を述べる文になってしまっている。4団体さん、あなた方が言いたいことの肝はそこではないはずだ。

 

登山をしたい人はたくさんいて、皆がそれをぐっと我慢している。山小屋を営業されている方々は、ただでさえ厳しかった資金繰りに加え、コロナウイルスという前代未聞の困難に直面している。山小屋の助けになればと、クラウドファンディングも展開されている状況だ。

もしかしたら、潰れてしまう山小屋もあるかもしれない。心の中では、誰だって小屋に泊まって応援したい気持ちだろう。そんな状況下において、苦渋の決断で自粛を要請するのだから、何のための自粛なのか、自粛しないと誰がどのような状態に陥る恐れがあるのかを明記した、説得力のある文章にしていただきたい。

 

ふもとでは新緑がまぶしく、標高の高い地点でも少しずつ雪解けが始まっている。早く以前のように、誰の目も気にすることなく山を楽しむことが出来るようになってほしい。

 

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2019年8月 福島県側から飯豊本山へ続く稜線

 

(注1)山岳4団体:(公社)日本山岳・スポーツクライミング協会、日本勤労者山岳連盟、(公社)日本山岳連盟、(公社)日本山岳ガイド協会)

 

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初めての渓流釣り

週末に、満を持して渓流釣りデビューをした。

そして釣果はご覧の通り。釣れてしまった。完全にビギナーズラック。

 

釣り方は、日本古来からの漁法と言われる「テンカラ釣り」にした。竿と糸と、虫を模した毛針の3つだけで釣るシンプルな釣り方だ。

初めはエサ釣りやルアーフィッシングも検討したが、道具や専門用語が複雑すぎてやめた。構造が単純な分、テンカラ釣りは難しいともいわれるが、シンプルで無駄のないデザインや、日本古来からの「食べるための釣り」という点に惹かれた。

 

ちなみに僕は、スポーツフィッシングというものには全く興味がなく、むしろ自然に対する冒涜くらいに捉えている。針で釣っている以上、本来魚が負うはずのない傷をつけていることは確かで、キャッチ&リリースすれば平気という考えはよく分からない(もちろん、漁協の定めるサイズ以下の魚は漁業資源保護のためにリリースするが)。

僕は、釣りは食料を得る目的でやるものだと思っているので、15cm以上の魚が連れたらリリースせず持ち帰ることにしている。だから2匹~3匹くらい連れたら帰宅だ。

 

漁協でもらったマップを頼りに、釣れそうな渓流を素人目線で探して、あちこち走り回った。そして車を止められそうな場所や川に降りられそうな場所を見つけては、ひたすら竿を出した。

もちろん初めての釣りでそう簡単に釣れるはずはない。糸の長さを調整したり、うっかり針を失くしたりしながら2時間ほど経過。日も傾き始めそろそろ帰ろうかと思ったところで、まさかのヒット。手元に手繰り寄せ、網に入れた。23~24cmくらいのヤマメだった。

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焦りすぎで何も見えない・・・

釣れたことに一瞬嬉しさを覚えたが、次の瞬間にはその後の手順を必死で考えていた。まずは気絶させなくてはならない。デコピンや石で頭を叩くと締めることが出来ると聞いたので試してみたが、ポイントを間違えていたのか全く効果なし。結局ナイフで脳天をしとめた。

その後は腹を裂いてエラと内臓を取り出す。これらは山の中へ捨てることで昆虫や小動物の食料となる。生臭さの原因となる血合いを洗い流して持ち帰った。

一連の処理は生まれて初めての経験で、手際よく、なるべく苦しませないよう事前にシミュレーションをしてから臨んだが、それでも少し手間取ってしまった。次はもっと上手く進めたい。

 

ヤマメはグリルで塩焼きにして食べた。淡白な味がたまらなく美味かった。塩焼き以上にうまい渓流魚の食べ方はないと思う。知人の家に囲炉裏があるので、今度は串に差して遠火で仕上げたい。ビギナーズラックで終わらず、安定して釣れるようになるのが当面の目標だ。

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ダム湖の思い出

雨の後の晴天で少しムシっとした日曜日に、飛騨高山をドライブした。気分転換というのもあるけれど、一番の目的は渓流釣りポイントの下見だ。

イワナ、ヤマメを釣って、焼いて、食べたい一心で、基本的な道具を一通り揃えた。遊漁券も年券で購入。あとは渓流で竿を出すだけだ。

清流の国・岐阜と呼ばれるだけあって、どこへ行っても水は綺麗だ。高山市の中心を流れる宮川の本流ですら、入って遊べるのではないかというくらい。

ただ、食べるとなれば、護岸された本流の魚より、自然石の転がる源流域の魚を食べてみたいものである。今回はより標高の高い場所へ向かって、川を遡るように車を走らせた。

川幅は次第に狭くなり、静かだった流れはいつしか轟轟と音を立て始める。暑さはどこかへ行き、川の流れ、樹々の揺れる音以外には何も聞こえなくなる。木漏れ日の差す川沿いで車を降りて吸い込む空気は格別だ。

しばらく細くて心もとない道を進んでいくと、ダムへたどり着いた。飛騨市河合町にある下小鳥ダムというらしい。


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ダム湖の周りを取り囲むように細い道路がつけられていて、一周することが出来た。所々に車を止められるスペースが設けられており、涼を求めてピクニックに来ていた家族もいた。

僕はこの光景を見て、自分自身の幼いころを思い出した。

地元の福島県石川町には千五沢ダムというダムがあり、ダム湖の周りには、やはり同じように細い道路がある。近くには遊歩道やグラウンドもあり、昔は家族でサッカーやキャッチボール、山菜採りをしに来たものだ。

特に印象に残っているのは山菜採りだが、決して山菜取りが楽しかったわけではない。車はどんどん人気のない方へ進んでいき、道路に木の枝やツタがはみ出しているような場所を通って山菜取りポイントへ向かう。車が止まったかと思うと、幼い自分を置いて両親はどんどん山へ分け入っていく。もちろん遊歩道のあるような場所ではなく、子供なら飲み込まれてしまうような藪の中だ。

待ってと声をかけても両親はあまり構ってくれず、さながら「千と千尋の神隠し」の冒頭で、千尋を放って食事に夢中になる千尋の両親のようだった。仕方がないので車の中で待っていたのだが、長時間の山菜取りになると、もう戻ってこないんじゃないかと不安になり、心細くて仕方がなかった。最終的には、タラの芽、ヤマグルミをたくさん持って、無事に藪から出てくるのだが、大量の収穫に対する喜びよりも、無事に家に帰れることに対する安堵感の方が大きかった。

(ヤマグルミはコシアブラとも呼ばれる。むしろコシアブラの方が一般的な呼び名だということを、僕は大学に入るまで知らなかった。)

ちなみに秋になると山菜がキノコに変わるだけで、同じ風景が繰り返された。このような経験から、山は怖くて不気味な場所という印象を植え付けられてしまったのであった(もちろん今では、山の怖さを理解した上で、山を大いに楽しませてもらっている)。

 

もう何年、千五沢ダムへ行っていないのだろう。原発事故があってから、山菜採りに行くという家庭行事は無くなってしまった。

ふるさとの風景を思い出しつつ、少し切ない気分になった一日だった。

 

monono-aware.hatenablog.jp

 

 

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テーブルを囲む

今朝は少し早起き。お気に入りの大堀相馬焼の急須でお茶を淹れた。

平日の朝だと、なんだかんだ時間に追われて、ゆっくりお茶やコーヒーを淹れる気になれない。しかし何だ、急須に茶葉を入れて、お湯が沸くのを待つ時間ほど贅沢なものはないかもしれない。

今の季節なら、シェアハウスのキッチンから水を張った田んぼが一面に広がっている。これから秋の収穫まで、季節の移り変わりを教えてくれることだろう。

今朝はキッチンに先客がいた。同居されている方がコーヒーを淹れていた。ゆっくりとドリッパーにお湯を注ぐと、コーヒーの香ばしい香りが広がった。

同じ空間でそれぞれがゆっくり時間を使って飲み物を淹れる。静かで不思議な空間だ。

 

朝はいつも時間に追われて余裕がないと書いたが、それでも高山に来てからだいぶ心に余裕は出来た。木工を始めたこともあるが、シェアハウスに入ったことが大きいかもしれない。

先週、シェアハウス内で山菜の天ぷらパーティーをした時のこと。

monono-aware.hatenablog.jp

 

入居している4人は皆生活リズムも働き方も違うため、一堂に食事に集う機会はあまりない。地元の山の恵みに舌鼓を打ちながら、それぞれの近況を話す。

そんな中、ある方が言った一言。

「エサが食事になった気がします」

その場にいた全員が、納得した。一人で取る食事は、朝はサーっと胃に掻きこんで終わり、夜は帰りが遅くなればスーパーの半額総菜やインスタント食品になりがちだ。まるで栄養補給のため、生きていくためのエサになってしまっていたかもしれない。

一方、何人かで集まって、一つのテーブルを囲んで食べると、貧相なメニューであっても美味しくなり、団らんの時間になる。みんなで山を歩いて手に入れたご馳走なら尚更だ。

 

家庭での食事もいわば井戸端会議みたいなものかもしれない。

水を汲みに行くという目的もあるが、それよりも誰かと話すという部分に重きがある。

一つのテーブルを囲むということは、モノを食べることにかこつけて、その場の人とより深く繋がるということなのだろう。

嬉しいことは話して2倍、辛いことは話して半分というのは本当だと思う。今日もキッチンに誰かがいたらいいなあと思いながら、明日からの1週間分の弁当のおかずを作るとしよう。

 

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国家公務員は夢がない…?

  国家公務員の定年延長関連法案が国会で審議入りした。

 知識や経験の豊富な高齢職員のスキルの発揮を目的に、2022年4月から2年ごとに1歳定年延長を行い、2030年度には65歳定年になるというもの。また、60歳以降は、管理職からは外され、給与も3割カットになる。

 現状、国家公務員には「再任用制度」があり、60歳定年を迎えた職員のうち希望者は職場に採用され残ることができる。この再任用制度がすべての職員に適用されるようなものだろうか。昨日まで上司だった人が同僚や部下になるかもしれないとなると、それはそれでやりにくいな~。

 

 ところで、国家公務員という言葉を見聞きするたび思い出す歌がある。

 

 宇多田ヒカルの「Keep Tryin'」は2006年の曲。auのcmソングとして耳にした人もいるかもしれない。

 この曲、2番のサビでこんなことを歌っている。

 

「タイムイズマネー」

将来、国家公務員だなんて言うな 夢がないなあ

「愛情よりmoney」

ダーリンがサラリーマンだっていいじゃん 愛があれば

 

 曲が発表された2006年当時は、国家公務員は安定して金を稼ぐ職、夢は2の次といった風潮があったのだろうか(今もそうか?)。

 最近は、官僚の皆さんが不憫な思いをしているのではないか、と思わせる事案が多数見受けられるが、僕自身は、皆さん「国をよくするために働きたい」という立派な夢を持っていると信じている。

 65歳定年になることで、国家公務員の世界がどのように変わっていくか、気にして見ていきたい。

 

 補足:別にKeep Tryin'は政治的な歌とかではなく、前向きになれる応援歌です。

 ちなみにこの曲、2006年度iTunesストア年間1位。

 2位はmihimaruGTの「気分上々↑↑」、3位はMonkey Magicの「Around The World」。ほかにもDef Tech「My Way」やAIの「Story」などがランクイン。懐かしいなあオイ。

 


宇多田ヒカル - Keep Tryin'

 

Keep Tryin'

Keep Tryin'

  • provided courtesy of iTunes

 

 

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