ダム湖の思い出
雨の後の晴天で少しムシっとした日曜日に、飛騨高山をドライブした。気分転換というのもあるけれど、一番の目的は渓流釣りポイントの下見だ。
イワナ、ヤマメを釣って、焼いて、食べたい一心で、基本的な道具を一通り揃えた。遊漁券も年券で購入。あとは渓流で竿を出すだけだ。
清流の国・岐阜と呼ばれるだけあって、どこへ行っても水は綺麗だ。高山市の中心を流れる宮川の本流ですら、入って遊べるのではないかというくらい。
ただ、食べるとなれば、護岸された本流の魚より、自然石の転がる源流域の魚を食べてみたいものである。今回はより標高の高い場所へ向かって、川を遡るように車を走らせた。
川幅は次第に狭くなり、静かだった流れはいつしか轟轟と音を立て始める。暑さはどこかへ行き、川の流れ、樹々の揺れる音以外には何も聞こえなくなる。木漏れ日の差す川沿いで車を降りて吸い込む空気は格別だ。
しばらく細くて心もとない道を進んでいくと、ダムへたどり着いた。飛騨市河合町にある下小鳥ダムというらしい。
ダム湖の周りを取り囲むように細い道路がつけられていて、一周することが出来た。所々に車を止められるスペースが設けられており、涼を求めてピクニックに来ていた家族もいた。
僕はこの光景を見て、自分自身の幼いころを思い出した。
地元の福島県石川町には千五沢ダムというダムがあり、ダム湖の周りには、やはり同じように細い道路がある。近くには遊歩道やグラウンドもあり、昔は家族でサッカーやキャッチボール、山菜採りをしに来たものだ。
特に印象に残っているのは山菜採りだが、決して山菜取りが楽しかったわけではない。車はどんどん人気のない方へ進んでいき、道路に木の枝やツタがはみ出しているような場所を通って山菜取りポイントへ向かう。車が止まったかと思うと、幼い自分を置いて両親はどんどん山へ分け入っていく。もちろん遊歩道のあるような場所ではなく、子供なら飲み込まれてしまうような藪の中だ。
待ってと声をかけても両親はあまり構ってくれず、さながら「千と千尋の神隠し」の冒頭で、千尋を放って食事に夢中になる千尋の両親のようだった。仕方がないので車の中で待っていたのだが、長時間の山菜取りになると、もう戻ってこないんじゃないかと不安になり、心細くて仕方がなかった。最終的には、タラの芽、ヤマグルミをたくさん持って、無事に藪から出てくるのだが、大量の収穫に対する喜びよりも、無事に家に帰れることに対する安堵感の方が大きかった。
(ヤマグルミはコシアブラとも呼ばれる。むしろコシアブラの方が一般的な呼び名だということを、僕は大学に入るまで知らなかった。)
ちなみに秋になると山菜がキノコに変わるだけで、同じ風景が繰り返された。このような経験から、山は怖くて不気味な場所という印象を植え付けられてしまったのであった(もちろん今では、山の怖さを理解した上で、山を大いに楽しませてもらっている)。
もう何年、千五沢ダムへ行っていないのだろう。原発事故があってから、山菜採りに行くという家庭行事は無くなってしまった。
ふるさとの風景を思い出しつつ、少し切ない気分になった一日だった。