もののaware

飛騨にありて福島を思う

湖の底から

2021年1月1日の朝、日本海側は大雪に見舞われる一方で、地元である福島県石川町は冬晴れだった。空気の清々しさのあまり、用足しに出かけるついでに少し車を走らせてみたくなった。

 

石川町を流れる北須川。春には川沿いに桜が咲き誇る素晴らしい川で、この上流には千五沢ダムがある。もともとは灌漑用のダムであったが、現在はこれに治水機能を付け加えるための工事が行われている。

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治水機能付加工事中の千五沢ダム

 

ここのダム湖を母畑湖といい、これを見下ろせる場所までドライブ。元日の朝にはさすがに誰もいないだろうと思いきや、うっすらと積もった新雪の上に車の轍があったのには驚いた。

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先客がいたようだ

 

渇水のため、ダム湖の底が見えていた。しんと静まり返った森の中、雪と水と土の織りなす芸術的な模様に、しばし見とれていた。湖底には動物の足跡があり、人生がサバイバルの彼らは、人間のように年末年始の慌ただしさに振り回されている暇はないのだろうと思った。

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水と雲だけが流れていた

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早起きな誰かの足跡

 

母畑湖を後にして、近くの千五沢神社へお参りに。境内の片隅には、千五沢ダム建設に関わる碑文が残されていた。これによると千五沢ダムのある地域は、かつての白河藩主・松平定信が家臣に命じて開拓させた地で、かつての名は南須釜村、現在は玉川村南須釜としてその名を残している。

そして千五沢ダムの建設により、集落の一部が母畑湖に水没したこと、それにより多くの人々が先祖伝来の地を離れざるを得なかったこと、南須釜を離れた方々の名前が記されていた。

さらに、広報いしかわ12月号によると、その多くは石川町の沢田地区へ移住したという。碑文には、見覚え、聞き覚えのある名前が多く記されていた。

僕の祖父もその一人。父も少年時代を千五沢で送った。千五沢は僕のルーツだ。

昨年度の台風19号により石川町内も甚大な被害を被った。進行中のダムの拡張工事が終われば、石川町が水害で悩まされることも減っていくことだろう。

阿武隈高地の深い山々と祖先の皆様方に合掌。千五沢永遠なれ!

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