もののaware

飛騨にありて福島を思う

彦左衛門の森

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かつて高山市清見町(旧清見村)の山にも、木地師と呼ばれる、ろくろを使ってお椀やお盆などを作る人々がいた。彼らは山に住み、作った木工品を里の人々と物々交換することで生活していた。

 

ある日、木地師の一家の元に、彦右衛門という落ち人が現れた。負傷していた彦右衛門を一家は介抱し、かくまってやることにした。そして彼は、傷が癒えると一家の木地師としての仕事を手伝うようになった。落ち武者と言えど仮にも武士、刃物の扱いに長けていた彦右衛門は木地師としての才能があったようで、一家もそれを喜び、いつしか一家の一人娘と恋仲になったという。

 

しかし、一家の一人息子は、突然現れた落ち武者に、木地師の跡継ぎの座を追われかねない状況を快く思わなかった。そして彦右衛門に懸賞金がかかっていることを知ると、彦右衛門の居場所を里に知らせた。その追手から逃れるため、彦右衛門は一家の元を離れ、さらに山奥へと移り、隠れ家を作って暮らし始めた。しかし、彦右衛門も一人娘も、互いのことを忘れることが出来ず、隠れ家で人知れず逢瀬を重ねたという。隠れ家は、たくさんのミズナラの大木に囲まれた場所だった。

 

そんな彼らを再び悲劇が襲う。多雪地帯の名物・根曲竹を採りに来た農民に、彦右衛門は見つかってしまった。その農民は里に下りても、初めは口を割らずにいたが、誰にも言えずに胸の奥に秘め続けることで気を病んでしまい、周りから問い詰められた末にとうとう彦右衛門の隠れ家を話してしまった。そして、彦右衛門は差し向けられた刺客に首をはねられ、それを深く嘆き悲しんだ娘は淵へ身を投げた。

 

はねられた首は遠くへ遠くへと飛んでいき、落ちた場所は「野首(のくび)」と呼ばれるようになった。現在の岐阜県高山市清見町夏厩地区のどこかと言われており、実際に「野首」という姓がある。そして娘が身を投げた淵は「びいが淵」と呼ばれるようになった。「びい」とは、飛騨地方の方言で、女児を指す言葉である(男児は「ぼう」)。そしてこの話は、地元の人の口伝でのみ伝わる話だという。

 

彦右衛門の隠れ家があったと言われる場所には、今も樹齢900年ともいわれる1本のミズナラの大木がある。名前は彦左衛門(なぜか彦右衛門ではない!)今日はそこへ行ってきた。

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樹齢900年、彦左衛門。伝承の人物は彦右衛門なのに・・・

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ここは清見町彦谷、越中富山へと続く神通川源流の森。雪国の短い秋を味わった。

 

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