もののaware

飛騨にありて福島を思う

ウラヤマ

先日、秘密基地と題した記事を書いたが、僕が通った児童館の裏手は、中々にワクワクする場所だった。

小高い丘になっていて、木々のトンネルや根っこの階段を手足駆使して登ると、そこには大きな石碑の鎮座する小さな広場があった。周囲をぐるりと大きな雑木に囲まれていたので、どちらかと言えば薄暗く、静かな聖域といった具合の場所だった。となりのトトロに出てきそうな場所である。

雑木の隙間からは、一面に広がる田んぼが見えた。当時は田んぼを見ても綺麗だなとは思わなかったかもしれないが、今思い出すと、それはもう見事な眺めだったと感じる。休み時間になると、表の校庭の遊具遊ぶよりも、裏手のこの場所で遊んでいた。

 

この雑木林は、僕が小学校高学年の頃に無くなってしまった。住民の憩いの場としての整備と称して、数本の樹を残してすべて伐採され、大木の根っこの階段は規則正しい丸太のステップに、草に覆われた柔らかさのある地面は、むき出しの土に入れ替わった。360度景色が丸見えの禿山になったウラヤマを見て、幼心に、これは「改悪」以外の何物でもないと感じた記憶がある。

 

子供にとって、表の開けたグラウンドも裏手のうっそうとした森も、遊び場であることに変わりはない。そしてブランコやジャングルジムだけが遊具じゃない。木登りしたり、木の実拾ったり、森での過ごし方は限りが無い。なのに、東屋がポツンとあるだけの禿山で、一体子供にどうしろと言うのか。

 

今となっては、少子化で児童館も閉館してしまった。この広場は石川町のホームページでは桜の名所の一つとして掲載されているが、桜の美しさよりも未だに禿山のままのその全貌に寂しさを覚えてしまう。

 

前回も書いたが、今の子供には、大人の目から隠れられるような秘密基地や、好き勝手に遊べるようなウラヤマは存在するのだろうか。絶対存在しなければならないという訳じゃないが、やっぱり無いと寂しいと思ってしまう。当たり前だが森や林が作り出す空間は、一度伐ったらしばらくは復活することは無い。そしてその間に、このウラヤマで遊ぶことなく卒園していった子供たちが何人もいたのだと思うと、思わずため息をついてしまう。田舎の超小規模な学校から、自然を取り上げたら本当に何も残らないだろうになあ。

 

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