もののaware

飛騨にありて福島を思う

山菜採りに行けなくなるということ

格安データSIM+ルーターの組み合わせで、良心的な値段でインターネットを楽しめるようになった。値段もそうだが、山間部で繋がらないポケットWiFiと比較して、スマホの電波が届くところならどこでも繋がるのが利点だ。今回は、ネットやスマホとは無縁だった実家にインターネットを持ち込んだ時の話。

 

僕の父は、同じ町内の、今の場所とは別の山間部で生まれ育った。今の場所に移り、僕が生まれてからも、たびたび山菜やキノコ採りに行っていた。

(父の、僕のルーツについてはこちら↓)

monono-aware.hatenablog.jp

 

そんな我が家も、原発事故以来、山菜取りには行けなくなった。事故直後だけではない。当たり前の日常だった山菜取りが、原発事故で寸断されてしまったことで、事故後何年か経っても何となく行く気にならなくなったという。今でこそ放射性物質の挙動に対する研究やデータが出てきつつあるが、事故後の当時は何もかも手探りで、とりあえずの山のモノは採らないという風潮にならざるを得なかったし、これからどうなるかという展望も全くなかった。

 

さて、先月帰省した時、父の育った山のことが気になり、どこで何を採ったとか、どうやって学校まで通ったかとか、いろんなことを聞いてみた。その中で、阿武隈高地の道路脇に山ブドウがとれるポイントがあり、僕も一緒に山ブドウを採りに行った話を聞いたが、正直言ってそのような記憶は全くなかった。そこで、グーグルマップのストリートビューで、そこに至るまでの道を調べてみることにした。

 

そもそもそんな山のふもとをストリートビューの車が通っているかどうか怪しかったが、きちんと映り込んでいた。撮影日時は2014年。もう何年も行っていないはずの場所だが、道路わきの灌木にしっかりと山ブドウが絡みついているのが分かった。まだ残っているのかなと父は懐かしそうな目で画面を見つめていた。

 

そしてこの山ブドウポイントのすぐ隣は牧草地帯で、ラッピングされた牧草を見ては、僕は大はしゃぎしていたという。ストリートビューにも、ラップサイレージが映り込んでいた。そして、この牧草も原発事故で出荷できなくなったと父は言った。今はもう管理されていない草原になっているのかもしれない。

 

日常にあった風景や文化、一体どれだけのものが原発事故で失われたのだろう。

震災と原発事故直後から、倒産や廃業といった文字をニュースでよく見かえた。しかし、フィーチャーされない多くの日常が、人知れず消えていったのだろう。父にとって山菜取りに行けなくなるということは、生活の一部がそっくりそのまま消えたということだ。

 

コロナウイルスの蔓延により、短期間で多くの企業が倒産に追い込まれているとニュースで聞く。9年前と同様に、人の営みが消えていくのを感じる。そして、一度失われたものは、簡単には元に戻らない。

 

遠くで起きた出来事が、自分の生活に簡単に影響を及ぼしてしまうくらい、世界は複雑に絡み合ってしまっている。真の意味で、大きな枠組みから外れて生きることは難しいのかもしれない。それでも、少しずつオフグリッドな部分を増やしていきたいと思っている。

(ただ、文明の発達のおかげで、家族の思い出の場所を思い出すことが出来たのはよかった。ストリートビューさまさまである。)