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飛騨にありて福島を思う

木工生活7日目(割としっかり叱られる)

木工生活を始めて1週間が経った。今日は初めてしっかりとお叱りをいただいた。叱られたことをブログに書くだなんて子供か!?と思われそうだが、この経験はとても大事なことので備忘録として書いておこうと思う。内容はずばり安全関係だ。

 

木工機械で製品の部材となる木材を切断中に、あわや骨折、運が悪ければ指が飛びかねない作業をしてしまったのだ。ここ半年は碌に運動していなかったため、体もなまっていたようだ。やや筋力を使う作業だったのに加え、時間帯は午後3時前。小休憩を控えていたこともあって、集中力が途切れていた。

 

すると、一瞬手が緩んだ瞬間に、木材に入る刃の角度が変わってしまった。問題はこの後。ヤバい!と思って高速回転する丸鋸から木材を抜いてしまった。これは大変危険な行為で、なぜなら丸鋸の回転スピードで木材があらぬ方向へものすごい勢いですっ飛んで行きかねないからだ。

幸い木材はすっ飛ばず、自分自身も、周囲の人にも当たらなかったが、先輩には謎の角度で切り込みの入った木材を持って経緯を説明し、しっかりとお叱りをいただいた。

 

単純作業・反復作業ほど注意が必要。集中力が切れたときほど、周りが見えなくなり手元しか見なくなっているが多い。ちょっと疲れたなと思ったときは、いったん手を止め、一息つくこと。納期やスケジュールも大事だが、まずはそれを達成するための体があってこそ。木工機械は、簡単に指が飛ぶ。明日からは本当に気を付けよう。

 

とはいえ、慣れない生活に若干疲れを感じているのも事実。今週はあと4日工房へ行く。体力と気力、どちらも充実させて乗り切るためには、今までの生活リズムや食生活から脱却しないといけないなと痛感している。とりあえず、眠ろう。それしか今はない!

 

明日も、ご安全に!

山菜採りに行けなくなるということ

格安データSIM+ルーターの組み合わせで、良心的な値段でインターネットを楽しめるようになった。値段もそうだが、山間部で繋がらないポケットWiFiと比較して、スマホの電波が届くところならどこでも繋がるのが利点だ。今回は、ネットやスマホとは無縁だった実家にインターネットを持ち込んだ時の話。

 

僕の父は、同じ町内の、今の場所とは別の山間部で生まれ育った。今の場所に移り、僕が生まれてからも、たびたび山菜やキノコ採りに行っていた。

(父の、僕のルーツについてはこちら↓)

monono-aware.hatenablog.jp

 

そんな我が家も、原発事故以来、山菜取りには行けなくなった。事故直後だけではない。当たり前の日常だった山菜取りが、原発事故で寸断されてしまったことで、事故後何年か経っても何となく行く気にならなくなったという。今でこそ放射性物質の挙動に対する研究やデータが出てきつつあるが、事故後の当時は何もかも手探りで、とりあえずの山のモノは採らないという風潮にならざるを得なかったし、これからどうなるかという展望も全くなかった。

 

さて、先月帰省した時、父の育った山のことが気になり、どこで何を採ったとか、どうやって学校まで通ったかとか、いろんなことを聞いてみた。その中で、阿武隈高地の道路脇に山ブドウがとれるポイントがあり、僕も一緒に山ブドウを採りに行った話を聞いたが、正直言ってそのような記憶は全くなかった。そこで、グーグルマップのストリートビューで、そこに至るまでの道を調べてみることにした。

 

そもそもそんな山のふもとをストリートビューの車が通っているかどうか怪しかったが、きちんと映り込んでいた。撮影日時は2014年。もう何年も行っていないはずの場所だが、道路わきの灌木にしっかりと山ブドウが絡みついているのが分かった。まだ残っているのかなと父は懐かしそうな目で画面を見つめていた。

 

そしてこの山ブドウポイントのすぐ隣は牧草地帯で、ラッピングされた牧草を見ては、僕は大はしゃぎしていたという。ストリートビューにも、ラップサイレージが映り込んでいた。そして、この牧草も原発事故で出荷できなくなったと父は言った。今はもう管理されていない草原になっているのかもしれない。

 

日常にあった風景や文化、一体どれだけのものが原発事故で失われたのだろう。

震災と原発事故直後から、倒産や廃業といった文字をニュースでよく見かえた。しかし、フィーチャーされない多くの日常が、人知れず消えていったのだろう。父にとって山菜取りに行けなくなるということは、生活の一部がそっくりそのまま消えたということだ。

 

コロナウイルスの蔓延により、短期間で多くの企業が倒産に追い込まれているとニュースで聞く。9年前と同様に、人の営みが消えていくのを感じる。そして、一度失われたものは、簡単には元に戻らない。

 

遠くで起きた出来事が、自分の生活に簡単に影響を及ぼしてしまうくらい、世界は複雑に絡み合ってしまっている。真の意味で、大きな枠組みから外れて生きることは難しいのかもしれない。それでも、少しずつオフグリッドな部分を増やしていきたいと思っている。

(ただ、文明の発達のおかげで、家族の思い出の場所を思い出すことが出来たのはよかった。ストリートビューさまさまである。)

木工生活2日目(実質初日)

昨日4月3日は、実際に現場に入ってのモノづくり。同じ作業を何百回、何千回と繰り返す。

 

人によってはつまらない、面白くないと感じるかもしれない。実際、思い描いていたモノづくり生活ではないという理由で辞めていく人も多い。ただ、それは面接などいろんなところで説明されているし、木工を勉強できる場所はほかにもたくさんある。

 

しかし、僕は辞めない。森林や林業の大切さ、木材を利用することの重要性なら、もう十分学んだ。今の自分に必要なのは、能書きに説得力を持たせるための技術と経験だと思っている。

 

ある職員の方は、ここでの修業は、毎日素振りをすることだとおっしゃった。プロ野球選手になるという夢に向け、毎日自分を信じて地味な素振りを続けられるかどうかだと。

 

僕は2年間素振りを続けることにした。このスイングで、自分の人生を見つめなおす。そして、意味のないスイングではだめだ。1回1回に意味を持たせなくては。

 

初日から、早速ミスをし、指導を受けた。同じ作業の繰り返しの中で、集中力が途切れてしまった瞬間があった。しかし、指導を受ければ印象に残り、修正できる。当たり前のことだが、この繰り返しでいいのだろう。早めにたくさん失敗し、自分を変えていきたい。無駄に怒られるのが嫌で、ミスを隠して、それでも給料はもらえていた前職時代とは違う。

 

入って2日間で、モノを作って生きることを、心のどこかで甘く見ていた自分を見つけることが出来た。

 

さて、2年間では、木工素人の自分はどれだけ変われるだろうか。幼少期に遊んでいた実家の工場(こうば)を思い出しながらの修業は続く。

木工生活1日目(オリエンテーション)

今日から木工の勉強スタートだ。果たして2年後にどんな自分になっているか、楽しみだ。

 

といっても今日は主にオリエンテーション。自己紹介や今後の流れや必要な道具の確認などを行った。

 

そして明日からは、もう本番。手と頭をフル回転させて、思いっきり頑張ろう。

 

同期の方々は年齢もバックグラウンドも様々。共通しているのは、みんな本気でモノ作りがしたいということ。たくさんの価値観を吸収できそうだ。同期の一人が自己紹介で、2年後も全員で笑って卒業できるよう頑張りましょうと言っていた。まだ会って数時間だが、ここにいるみんなでやり遂げたいと僕も強く思う。

 

入校式では、目指す自分から逆算して、今の自分にできること、やるべきことは何かを考えて臨むことの大切さを説かれた。

目指す自分は、福島県で、木工×αで食べていける人間。そのためにやるべきことは、とにかくモノづくりの経験を積み重ねること。

 

明日は、まずは木と道具に触れてみる日だ。小さいころに木工をやった記憶がよみがえる。好きこそものの上手なれ。モノづくりは楽しいんだということを思い出していきたい。

木工職人0年生

令和2年3月31日をもって、新卒から4年間務めた職場を退職し、岐阜県高山市に木工修行にやってきました。プロフィールには木工職人(見習い)と書いておきながら、実際は見習いのスタートラインにも立っていなかったということ。詐欺みたいなものだな。

 

公務員から職人へ。明日4月2日は早速修行の1日目。なのに頭の切り替えが全くできていない…30日、31日と手厚い送別会(組織的な会ではなく、個人的なやつです。念のため)があり、若干睡眠不足。正しい文章が書けているか不安です。

 

シェアハウスの部屋は引っ越し荷物で散らかったまま。年金や健康保険の切り替え手続きもできていない。もう少し、旧生活と新生活のバッファーゾーンとなるような時間が欲しい・・・。

 

今は、大学の寮へ入寮した日のことを思い出しています。あの頃は知らない人ばかりで、ここにはどんなルールがあるのかも分からず(寮は上下関係や古いしきたりがあるのではないかという怖いイメージがあった)、大学生活への期待と不安でいっぱいでした。

しかしこういうのは来た日が一番緊張していて、すぐに慣れてしまうもの。シェアハウスに入居している方々は皆いい人ばかりで、すでに馴染むことが出来ました。

(大学の学生寮についてはこちら↓)

monono-aware.hatenablog.jp

 

さて、前職では林業・木材産業という、木材利用のいわゆる「川上・川中」に携わることが出来ました。そして木工職人とは「川下」の存在。川下があって初めて川上から木材が流れてくることが出来ます。

 

「木を見て森を見ず」という言葉がありますが、自分は「木を見て森も見る」存在を目指し、循環型社会の一翼を担えるよう努めていきたいです。

 

そして何より木工で自分の生き方、福島の未来を見つめ直す、という自分のテーマを忘れず、2年間過ごしていきます。木工職人0年生としての生活がいよいよスタートします。

 

今後は、モノづくりや修行生活に関する記事も増えていくと思います。引き続きご覧いただければ幸いです。

福島の桜を見る会

桜を見る会が悪い意味で世間を賑わしているのを見てふと思った。僕は、福島の桜を何年見ていないのだろう。

 

高校を卒業し、岩手の大学に行ったのは今から8年前。ああ、8年間も福島の桜を見ていないのか…思えば、桜の季節に帰省できる機会は少なかった。

 

児童館の庭にも、小中学校の校庭にも、高校にだって桜の木はあった。地元石川町は桜が有名で、あまり見に行けたことはないけれど、今出川という川沿いの桜並木はそれは見事なものであった。

 

当たり前のように、自分の身の回りにあった日本の風景。福島を離れてからも見る機会はたくさんあったが、やっぱり地元の桜も見たいと思う。

 

一生に一度は見てみたいと思う桜がある。石川町の隣、古殿町という町にある「越代の桜(こしだいのさくら)」だ。県内でも開花が遅いことで有名で、ゴールデンウィーク前半に見頃を迎える。隣町だが、実は見に行ったことはない。

 

4月から岐阜県高山市で、最短でも2年間木工修行だ。帰省できる機会も減るだろう。そうなると、福島の桜を見るのは10年ぶりになりそうだ。

 

総理主催の桜を見る会には全く興味はないが、いつか福島の桜を見る会をコソコソと開催してみたい。桜の木の下で、サクラの食器で、桜餅を食べながらティータイム、なんてのもオツかもしれない。

地域の林業・木材産業に感謝

退職まであと5日。今日はたくさんの林業・木材産業関係者が集まる会議に出席してきた。お世話になった方々に一言挨拶したいと思っていたところだったのでちょうどよかった。

 

公務員を退職し、家業の建具屋を継ぐことを打ち明けると、ありがたいことにたくさんの労いの言葉を頂いた。

 

かつては林業もきつい・汚い・危険の3K産業と呼ばれることもあっただろうか。しかし、この地域の事業体は皆輝いている。林野庁がスマート林業を掲げる前から、林業という業界の改革に取り組んできているほか、レーザーセンシングやIoTを駆使した林業経営を実践し始めている。

 

発注者と受注者という間柄であるがゆえに、公務員は事業体に対し高圧的になりがちだ。そういうシーンを僕はたくさん見てきた。しかし、僕は事業体の皆さんにそんな態度を取ることはできなかったし、むしろ僕自身がたくさんの事を学ばせていただけたことに本当に感謝している。

 

先進的な考えを持っている事業体の皆さんには、建具という世界にも理解を示して頂けた。安定した公務員を辞めて建具屋を始めることは、一般的には危うい選択と取られるだろう。しかし、皆さん口を揃えておっしゃったのは、建具、木工という世界は、これからどんどん面白くなっていくということだった。

 

僕自身も、建具の需要は底を脱して上り調子になっていくと思っているし、その技術は家具や古民家再生など、色んな場面で役に立つと確信している。

 

同じ木の世界にいる以上、またどこかで関わり会えると思っている。ある森林組合の課長さんは、なんと石川郡や東白川郡に知り合いがいて、いつか行こうと思っていたという。中部地方において「水郡線」という言葉を聞くことになるとは思わなかった。

 

公務員を辞め、一般人になってから、もう一度この地の林業・木材産業と関わってみようか。世界は近くて、人の広がりは無限だ。