もののaware

飛騨にありて福島を思う

自分のルーツが無くなる前に

引っ越しまであと1ヶ月。現住居の退去に向け、片付けや補修をしている。

 

特に面倒なのが、障子の張替えだ。障子のそばで洗濯物を干すせいで、ハンガーが障子紙を突き破っている。退去の前にまとめて直そうと思っていたが、そろそろ取り掛からなくてはならない。

 

専門業者に任せる手もあるが、自分の手で直してみようと思う。家業は建具屋。両親が障子を貼り直す姿を見ながら育ってきた。結局一度もやり方を教わったり手伝ったりしたことはなかったが、折角の機会だからチャレンジしてみよう。

 

両親から教わり損ねていることは他にもたくさんある。

建具の作り方はもちろんなのだが、とくにこれだけは教わっておきたいと思うのが、父親の生まれた地域と山の恵の見つけ方である。

 

私の父は、10代の頃に町内の中の別の地域から移り住んできた。生まれ育った場所は今の場所よりも標高が高く、山深い集落だったそうだ。

 

場所が場所なだけあって、山菜や果実を採取して過ごしてきたらしい。

タラの芽やワラビ、ゼンマイ、ヤマグルミ、山ぶどう、アケビ、栗、キノコなど、他にもたくさん。今でもいつ、どこに、何が生えるかを完璧に把握しているようで、自分が小中学生の頃は連れられて一緒に取りに行ったものだ。

 

山の恵を享受することとは、決して楽なことではない。ワラビやゼンマイはアク抜きしなくてはとても食えたものではないし、キノコは慣れた人でも毒キノコかどうか見分けが難しい。山ぶどうは渋みが強く、工夫しなくては食べられない。

食糧を手にする上で不利な地域において、父の植物採集は趣味でもあり生きていくための手段の1つでもあった。

 

父は今でもたまにこの山に出掛け、採集をしているようだが、体力の衰えからかつてのように起伏のある山の中をガンガン進むとはいかないようだ。

また、この山は近年開発が進んでおり、いずれ昔のように採集を楽しめなくなるのではないかと、父は危惧している。それどころか、周辺水系の水源となっているこの山が失われることは、下流域の水資源や生活の安全を脅かすことに繋がりかねないとも。

 

父のように、この山を知っていて、その行く末を案じている人が、他にどれだけいるだろう。

人知れず消滅していく集落は日本中にごまんとある。そして物理的な消滅のあとに、人々の記憶からも消えてしまえば、全てが無かったことになってしまう。

 

父親のルーツは自分のルーツだ。自分の記憶に残らなければ、自分のルーツは地球上から無かったことになる。それだけは避けなくてはならない。

 

自分ひとりの力では、巨大資本の侵入を止めることは難しいかもしれない。でも、この山とそこにあった暮らしの文化を記憶に残しておくことはできる。

 

ゼンマイのふわふわの綿も、アケビの種の多さと食べ辛さも、ハツタケの青みもすべてが懐かしい。

 

その「懐かしい」の一歩先へ踏み込んで、自分のルーツを探りたい。 

記憶は誰にも奪えない財産だ。