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飛騨にありて福島を思う

秘密基地

 

ご縁があって、岐阜市の木育施設「ぎふ木遊館」と、岐阜県立森林文化アカデミーの森林総合教育センター「morinos」に行く機会を頂いた。とても有意義な1日を過ごすことが出来た。

 

ぎふ木遊館は、今年7月にオープンしたばかりの木育施設。岐阜県産材をふんだんに使った館内は明るく開放感があり、まだ真新しい木の香りが漂っていた。コロナ禍により入場制限を行っている状況ではあるが、たくさんの親子連れでにぎわっていた。ここにくる全員、大人も子供も関係なく楽しんでいるのが印象的だった。

また、県の施設ということで、行政がこのような場所づくりに取り組んだということ自体がとても興味深かった。岐阜県の木育に対する意識の高さが伺える。

 

そしてとある職員さんのコメント。

「木遊館は、本物であって偽物。」

土や泥にまみれず、ケガ無く過ごせる自然なんて存在しない。本当の自然を感じられる場所として、morinosを見てきてください、とのことだった。このコメントを聞いて、ぎふ木遊館のことがもっと好きになった。

 

そして午後からはmoriosへ。この場所を一言で表すと、秘密基地だ。

森林文化アカデミーの裏手を登っていくと、森の中に現れる空間。そこには井戸水をくみ上げたり、火をおこしたり、丘に穴を掘ったり、思い思いにはしゃぎまわる子供たちの姿があった。

田舎で育った子供なら、誰しも一度は「秘密基地」を作ったことがあるだろう。それは裏山の藪の中かもしれないし、家の押し入れの中かもしれない。木の枝で目隠しを建てたり、粗末な段ボールで視線を遮ったりするような程度であれ、子供には、子供だけの隠れ家が必要なのだ。

今となっては、そんな場所自体が少ない気がする。子供の隠れ家なんてとんでもない、むしろ子供を常に目の届く場所に置こうとする社会だ。子供の好奇心に蓋をしている。

もちろん、なにかあったらすぐ大人が駆け付けられるように待機はしている。それでも、これだけ子供たちが自由に動き回れる場所が、いったい世の中にどれだけあるのだろう。

 

自分は、どちらかというと子供と接するのが苦手な方だった。どう接したらいいか分からなかった。でも、先日のカンナくずプールや森林環境教育体験を通して、だんだん分分かるようになってきた。自分の子供のころの気持ちを、思い出せるようになってきた。

 

いつか、子供のための秘密基地を作ってみたい。いや、秘密基地を用意するというよりも、子供が秘密基地を作れるだけの環境づくりをしてみたいと思っている。広い自然の中で、ひっそり縮こまれる場所で過ごす体験は、ただただ面白いからだ。

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丘の上にあるmorinos。写真のスペースだけでなく、森全体がmorinosという空間。

 

monono-aware.hatenablog.jp

 


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オトナの環境教育

 小さい頃、実家の工場の鉋屑に埋もれて遊んだものだ。鉋屑の山に飛び込めば、いい香りがして暖かい。当時飼っていた犬と一緒に暖まっていたのを思い出す。今思えば、あんなに長くて、幅がある、大量の鉋屑に囲まれた環境は貴重なものだったとよく分かる。

 先日、とあるイベントで鉋屑プールを作って、子供たちと遊ぶ機会があった。今時、こんな体験ができる環境なんてほとんどないだろう。はじめは子供たちが興味を示してくれるか不安だったが、杞憂に終わった。鉋屑の中で大はしゃぎする彼らの反応を見て、こちらまで元気になってしまった。はしゃぐ子供たちを遠巻きに遠慮がちに眺める別の子供だって、こっちおいでよと声をかければ一緒に遊びだす。一生懸命鉋屑を作った甲斐があった。

 今を生きる子供たちは、自然と触れ合う機会が無く、小さい頃からゲーム、スマホYouTube、このままでいいのか、という声をよく聞く。まあ確かにその通りだが、別に子供たちだって好きでそうしているわけじゃない。問題なのは、周りの大人たちだ。

 鉋屑プールで子供たちと遊ぶことで、その子供たちが普段どのような過程で育っているかが見えた。鉋屑にまみれれば、当然体中にまとわりついてとんでもないことになる。しかしそういうものだから何の問題もない。しかしその親御さんの反応としては、

「お兄ちゃんと遊んでもらえてよかったね~、ほら、ありがとうって言おうね」

という家庭もあれば、

「こんなに汚して、周りも散らかして、何してんの!謝りなさい!」

という家庭も見受けられた。自分だったらどちらの家庭で育った方が幸せか、答えははっきりしている。

 また、別の日に、小学生向けの森林の手入れ体験があり、僕も主催側として参加させてもらった。今回はいわゆる都会の子供たちが参加したが、こういうのは都会の子供たちの方がかえって新鮮に感じるようで、好奇心を爆発させて遊んでくれた。

 しかし、彼らを引率する先生方が、その好奇心を抑え込んでいるように見える場面が多々見受けられた。そんな些細なことで怒らなくてもいいのに・・・生徒の安全を預かる立場として理解できなくもないが、彼らのやりたい、知りたい、に蓋をしてはダメだろう。

 こういった経験から、本当に環境教育というか、自然体験が必要なのは、大人の方なのではと思うようになった。田舎で育ったからといって豊かな感性が育まれるかと言ったら、必ずしもそうではないし、都会にいながらでも自然を見る目は身につけられないことはない。結局は大人がどれだけ子供に機会を与えられるかなのだ。

 誰だって本質的には自然が好きだろう。そういう環境を用意さえすれば、子供は自由にのびのびと勝手に遊ぶ。彼らに環境と機会を与え、青天井の好奇心を見守る、そんなこともやってみたかったりする。そこに木工の入り込む余地はあると思っている。 

 

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ケミカルでない味

ブドウ系の缶チューハイは何であんなにケミカルな味がするのだろうと、いつも不思議に思っている。どの商品も、どこか苦いような薬品味を感じてしまう。同じメーカーのレモンやグレープフルーツ、キウイ、パイナップルなど、ほかのフルーツ味は美味しいのに。

 

ブドウ味ということで言えば、これだ!と言えるワインにも中々巡り合えない。渋みよりも、フルーティな酸味を味わいたいのだけれど、残念ながらそんなワインは一般的には少数派のようだ。

 

それでも、自分の味覚に合うブドウのお酒を2つほど知っている。どちらも大学時代を過ごした岩手にまつわるお酒だ。

一つは、岩手県の焼き肉・冷麺専門店「ぴょんぴょん舎」にて提供される「岩手山ぶどう酒」だ。僕は初オーダー時に「いわてさんぶどうしゅ」と言ってしまい店員さんに「『いわてやまぶどうしゅ』ですね」と訂正された苦い思い出がある(でも岩手で登山をする人なら誰だって「岩手山」とあれば「いわてさん」と読んでしまうよね?)。

でも苦かったのは思い出だけで、味はフルーティーで酸味と甘みのバランスが最高に良かった。あれを飲むためだけに、もう一度盛岡へ行きたい。なお僕は看板メニューの盛岡冷麺よりも、ユッケジャン辛温麺のほうが好きだ。特にこれからの季節は体が温まるものを食べたい(なお、ユッケジャン「しん」おんめん、と読むが、これも初見でユッケジャン「から」おんめん、と読み間違えを披露してしまい、店員さんに訂正されたことがある。ニガくてカラい思い出だ・・・)

 

もう一つが、後輩からお土産でもらった山ぶどうのワインだ。銘柄を全く思い出せないのだが、確かワインの名産地、葛巻町のくずまきワインだったと思う。これもまた適度な酸味といやらしくない甘みでとても気に入ったのを覚えている。山ぶどうでジャムなどを作って食べたこともある両親もかなり気に入り、あっという間に飲み干してしまった。

 (山を味わった思い出についても書いています↓)

monono-aware.hatenablog.jp

 

この2つの思い出を追いかけて、色々なワイン、葡萄酒を飲んできたが、残念ながらその味は遠く及ばないものばかりだ。ケミカルでなく、酸味と甘みのバランスが良い味わいをご存じの方がいらっしゃれば、ぜひともご紹介ください。

 

 

こちらは同じケミカルでも、気持ちのいいケミカル↓

Got to Keep On

Got to Keep On

  • provided courtesy of iTunes

 

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薬師岳


北アルプス薬師岳(2,926m)へ、大学時代の後輩と登頂。薬師岳は、6年前に大学のサークル活動で登ろうとして悪天候で断念した山。今回はそのリベンジ的な登山だった。

 

当時の山行を思い返すと、パーティーメンバーには辛い思いをさせてしまったと反省するほかない。自分の中でもやもやする気持ちを整理しようと思って、単独で行こうと思った山だったが、ありがたいことに当時のメンバーの一人である後輩が付いてきてくれることになった。彼には本当に感謝したい。

 

今回は、薬師岳直下にある薬師岳山荘で宿泊するコースにした。6年前の夏は薬師岳山荘よりさらに下にある薬師峠キャンプ場で幕営し、翌日登頂し下山までする予定だった。しかし、悪天候により沢が増水、さらに縦走5日目最終日ということもあり、無理を避けて登頂せず下山とした。この縦走で、いわゆる日本百名山を2つ~3つほど回れる予定であったが、結局1つも登ることが出来なかった。

 

この判断は、間違ってはいないと思っていた。悪天候下での山行は全くもって面白くないと思っていたし、翌日くらいに増水した沢での死亡事故も起きていた。しかし、下山し大学に戻ってから今に至るまで、あの時薬師岳に登っていれば、あの5日間は少しは変わったんじゃないかかと、メンバーにとって行ってよかったと少しでも思える山行になったんじゃないかと後悔し続けてきた。そんな思いを抱えながら、朝7時に登山口の折立を出発した。

 

前回はお盆休み付近の山行であったが、今回は10月。少し肌寒いが、歩いていると体感的には丁度良く、苦労せずに14時前には薬師岳山荘へ着くことが出来た。この日山荘は営業最終日であり、薬師岳と草紅葉を求めた登山客で満員であった。

しかし満員と言っても、コロナ禍のため定員はいつもの半分程度、館内はマスク着用、食事も少人数での3回転制であった。寝床も、一人一人のスペースが仕切り板で区切られていた。まさか山小屋でマスクをする時代が来るとは思わなかったが、正直少人数で快適だとも思った。

 

到着後はそのまま山頂アタックが可能な時間ではあったが、山荘についた安堵感と、短時間睡眠&長時間運転による睡魔に耐えきれず、夕方まで2時間も山荘で眠ってしまった。そして残念なことに、その間に薬師岳周辺は晴れ渡り、多くの登山者が頂上を目指したようだった。悔やまれることではあったが、一足早く目が覚めた後輩が僕を叩き起こしてくれたおかげでくっきりと澄み渡る空と美しいシルエットの稜線を捉えることが出来た。単独行だったら完全に寝過ごして晩御飯すら遅刻していたところだった・・・

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薬師岳方面。頂上はさらに先。

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手前に雲ノ平。さらに遠くに槍ヶ岳

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黒部五郎岳





夕食後は遠くに沈む夕日と、富山市街地の夜景を堪能した。2,700m地点は、日没後はさすがに寒かったが、それを吹き飛ばすほどの息をのむ風景だった。後輩は、苦労して登った者にしか味わえないご褒美たと言っていた。改めてその通りだと思った。

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この薬師岳山荘、館内はすこぶる快適で、全く寒さを感じることは無かった。おかげで疲労も取れ、次の日に備えることが出来た。

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ご飯味噌汁お替り自由。フルーツポンチは営業最終日のサービス。

翌朝、5時に山荘を出発し、薬師岳山頂を目指した。ご来光に合わせて登り始めたが、残念ながらガスと強風でお世辞にも快適な登りとは言えず、山頂での滞在時間は短かった。それでも、昨日見えた薬師岳の姿を思えば、これ以上のことを望んではいけないなと思えた。それくらいに、北アルプスの風景は僕の目に美しく、たくましく映った。

 

下山後はふもとの亀谷温泉に入り、市内でちょっと良い寿司屋で腹を満たし、富山湾で水面にタッチした。正真正銘、2,926mを上下したことになった。

 

さて、寿司を食べながら後輩と反省会をした結果、6年前の下山の判断は正しかったのではないかという結論に至った。薬師峠キャンプ場から薬師岳山荘までの登りと、薬師岳山荘から頂上までの登りは、意外と険しくキツかった。6年前のコンディションでは、気力体力ともに満足に登ることは出来なかったと思った。これで当時のメンバーに許してくれと言うのはまだ申し訳なさが残るが、自分の中で少しばかり答えが出た気もしている。

 

そしてやっぱり山はいいもんだと思った。これから山は紅葉し、冬のシーズンになっていくが、一人でも誰かとでも、まだまだ楽しみたいと思う。ひとまずアルプスよ、また来年まで!

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トンネル

僕の毎日の通勤路(通学路?)は、車で片道20分。その7割近くがトンネルだ。しかも高速道路の無料区間と自動車専用道を走っているため、たまに見える景色も味気ない。毎日毎日気が滅入る時間になってしまっている。

 

そんなトンネル通勤路が、今週いっぱいは工事により夜間通行止めになったようで、帰りが遅くなると迂回を余儀なくされることになった。下道を通ると、10分程度かかり増しになる。

 

昨晩は用事があったため、下道の旧道を通って家路についた。するとどういうことだろう、車の通りも街灯もあまり無い田舎道が、とても気持ちのいい道路に感じられた。

いつもより時間がかかるかどうかなんてどうでも良くなった。暗闇で景色が見えなくても、トンネルを通らないだけでこんなに気が楽になるものだったのか。

 

トンネルや隧道は、先人の苦労の結晶だ。たくさんの人がその恩恵を受けていて、僕自身もその一人だ。だが、出来ることなら通りたくない構造物でもある。空気は悪いし空の広さも深さも分からない(そういえば友人に、自転車の旅をしていて、福島県西郷村から下郷町に抜ける長い長い甲子トンネルの中でカップ麺を食べたやつがいる。たいしたもんだ)。

そういう意味では、都会の空気もまたトンネルみたいなものだなと思う。きっと僕には暮らせない場所。

 

明日からは、朝も下道を使ってみようか。清々しい空気を吸い込みながら、深い山々を眺めながら、ゆっくり田舎道を走るのもいいだろう。

トンネルの中では、季節が変わっていく様を感じられない。飛騨高山は、すでに秋の匂いが漂い始めている。寒くて億劫になりそうだけど、頑張っていつもより10分、早起きしてみよう。

 

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自分のテーマ「木工×αでふくしまと自分の未来を見つめる」を検証する。

木工を始めて半年が経った。これまでの時間は濃密かつあっという間であり、進路選択に後悔は微塵もない。

 

この節目を期に、改めて自分のテーマである「木工×αでふくしまと自分の未来を見つめる」について考えてみたい。

 

①「木工×α」について

木工だけでなく、それに何かを掛け合わせたいと思って考えたフレーズ。当初は「〇〇ができる木工職人」を目指そうと思っていたが、今では「木工もできる〇〇」を目指そうと思っている。

自分自身について、どこかの家具工房やメーカーでモノづくりに勤しむ姿はあまり想像できない。かといって、独立して黙々とモノづくりをする姿もいまいちイメージしづらいことが判明してきた。

しかし、木工を始めたことは正解だったと確信はしている。じゃあ何で木工を始めたのか。それは、モノを作れる技術が欲しいというのはもちろんだが、併せて、モノづくりに浸かっていく過程で、何が見えてくるものがあると期待しているのだと思う。あまりはっきりと言葉にできないが、モノづくりの世界には何かある!と自分が感じたその嗅覚を大事にしていきたい。

そして、モノづくりを経験したことで得たものを手段として、今起きている小さな問題・課題にあの手この手でアプローチできればいいなと思っている。前までは社会問題を解決したいと意気込んでいたが、まだ自分はそれに挑める段階に達していない。大きな跳躍でなく、まずは足元を見ながら確実な一歩を重ねていこう。

 

②「ふくしまと自分の未来を見つめる」について

実はこれに関しては、人前で言語化するのはやめようかと思ったこともあった。福島のために何かしたいと思う気持ちに嘘は無いけど、一方で結局何もできていないし、そんなこと言う前に目の前のことを頑張れよと、誰かに言われている気がしてきたからだ。というか言われた。確かに、口先だけの人間になりかけていたところだった。

でも、そんなこと言われたらやっぱりコンチクショウと思うわけで。地元あっての自分なのは疑いようがないことだ。福島への思いは、しばらく胸の奥に秘めて、その火が消えないように保ち続けていこうと思う。そしていつか見返してやろうと思っている。

そもそも「ふくしまで起きている問題を解決する」ではなく「ふくしまと自分の未来を見つめる」なのは、やりたいことが分からない、自分自身に迷いがある、ということに何となく自覚があるからだ。だから、まずは「見つめる」という規模感は、実はちょうどいいのかもしれない。

 

③まとめ

半年ぶりに自分のテーマ「木工×αでふくしまと自分の未来を見つめる」について考えてみたが、やはりこれに間違いはないと思う。これからも掲げ続けて、また半年後くらいに検証します。

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焼岳

本当に久しぶりの登山。実に1年ぶり。北アルプスのお膝元といえる飛騨高山にいながら。

こんなに久しぶりになってしまったのは、趣味の時間を減らし別のことに注力している生活スタイルのせいだが、まあ登山なしでは僕の人生はつまらないものになってしまうだろう。それが改めて分かった1日だった。

 

今回登ったのは、北アルプス唯一の活火山、焼岳。標高は2,455mながら、日帰りで登れる比較的お手軽な山。

実はこの焼岳、以前から何となく敬遠気味だった。数年前のことだが、北アルプスの3,000m級の山、乗鞍岳に登った時に、乗鞍岳の半ば観光地化された姿にひどくがっかりした。それ以来、日帰り可能な百名山の焼岳も、観光地のような雰囲気があるのではないかと勝手に勘違いしていた。その誤解が解けた登山だった。

 

中腹あたりで樹林帯が終わると、焼岳の双耳峰を仰ぐことが出来る。そこからは常にそれらを視界にとらえながらの楽しいトレイルだ。

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中腹から見える北峰・南峰


8合目あたりからは、カール地形に囲まれた雰囲気の道になり、自然地形のスケールの大きさと面白さを感じられる。頂上付近の荒々しい岩は、岩手山鬼ヶ城をほうふつとさせる(余談だが岩手山は網張コースが一番好きだ)。

 

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カール地形に囲まれて登る。空が切り取られて、一層広い。

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頂上から穂高岳方面を望む

 

 高校で山岳部に入った時、体力的にきつくて退部しようと思ったこともあったけど、辞めなくてよかった。登山は心身ともに充実させてくれる。

日本という国において、山はふもとの町にとって信仰の対象であり、まさに母なる大地だろう。山に登るということは、その町の首長にに挨拶しに行くような感覚でいる。僕はようやく、飛騨高山に挨拶しに来れた気分だ(しかし焼岳はどちらかというと長野県側の山・・・)。

 

久しぶりに山に登ると、やっぱりもっと登りたくなる。10月は薬師岳へ1泊2日のテント泊に行こうと思う。6年前に登れなかった思い出を上書きしに行ってくる。

 

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