もののaware

飛騨にありて福島を思う

不意打ちの魔力

ラジオを聴いていると、稀に自分の好みにどストライクの音楽と運命的な出会いをすることがある。

 

一方で、音楽配信サービスの「あなたにおすすめのプレイリスト」を聴いていても、期待したほどいい曲を見つけられはしない。この違いはいったい何なのだろうか。

 

きっと、無意識の状態で聞いた方が、曲の魅力は何倍にもなるのだろうな。いい意味でラジオには好みの音楽配信を期待していない。流れる曲の多くが、基本的にはボール球だと思っているため、たまーに来るストライクに「やられた!」と思ってにやけてしまうのだろう。

しかし、おすすめプレイリストと銘打ってあると、好みの曲ばかりなんだと期待してしまう分、期待外れに陥りやすい。Apple MusicのChill Mixは癒しの曲リストであるはずが、「しっかり聴こう、聴いてリラックスしよう、いい曲を見つけよう」という気持ちで聴いてしまっていて、結局癒されない。今度からはボケーっとして聴くことにしよう。

 

逆に、聴き古したような曲でさえ、ラジオから流れると異様にテンションが上がる。どうやらラジオには不意打ちの魔力があるようだ。また、小さい頃、親の車で聴いた音楽を何年経っても覚えているという現象もまた、不意打ちの魔力が故だろう。親のジムニーで繰り返し流れていたR&B、ソウルによって、僕の音楽の趣味は形作られてしまったようである。

 

そして僕はそのジムニーja11を近々譲り受ける予定なのだが、音楽はまともに聴けるようにはカスタムしたい。ガタガタの車内で、擦り切れたカセットテープで聞いたChaka Khanは懐かしいが、さすがに今度は高音質で聴きながらドライブしたいところである。

 

I Feel for You

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福島県人

最近、自分はどこの人間なのかと思う瞬間がある。

 

高校まで福島で過ごし、大学で岩手、新卒で長野、そして今年から岐阜。色んな所に住んできた。その中で、やっぱり自分は福島の人間なんだと思うわけだが、果たして今の自分は福島の人間なのか?

 

自分が福島から離れている間に、地元は大きく変わり続けているようだ。特に目にするのが、自分と同じ年代の人たちがアクションを起こして地域社会を変えていこうとする動きだ。

原発事故直後、もう福島に上がり目はないと思ったこともあったが、そんなことはなく、確実に良い方向へ動き出している。

 

一方で、自分は福島のために何かしてきたか?そんな責任を背負い込むほど優れた人間でないことは分かっているけど、後ろめたさを感じ続けている。

 

僕はやっぱり福島が好きで、自分は福島県人だと思いたい。そこに理屈はない。

 

福島に戻った瞬間に満足してしまうのではないか?と思うこともあるが、それでいいのかもしれない。福島に戻ることは、大袈裟だけれど今の所、僕の人生の一番の目標だ。

地域を元気にしたい思い、モノづくりをそれに活かしたい思いはあるが、結局のところ、福島に戻りたいだけなんだな。

 

自分が一番気持ちのいいと感じられる場所で生きる、それ以上に幸せなことは中々ないと思っている。早く車のナンバーも免許証の住所も、福島にしたい。

 

 

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木工は手段か目的か

飛騨高山で木工を始めて5か月が経とうとしている。ここに来てから、様々な出会いがあった。それは人との出会いであり、新たな価値観との出会いだったり。そんな様々な出会いの中で、少しずつ、自分自身を見つめなおしている。

 

最近よく考えるのは、自分が2年後、3年後にどんなポジションを目指すのかということ。一般的に木工を修めた人が選ぶ進路の多くは、メーカーや家具工房への就職か、独立して木工作家になるかの2択だろう。しかし、その前に、木工を目的とするか手段とするかという2択からスタートする必要があるだろう。

メーカー等への就職と独立して木工作家、家具職人になるという選択肢は、とにかく手を動かしてモノを作りたいという、「木工を目的とする」度合いの強い選択肢だ。

一方で、木工を手段とする選択肢も存在すると思う。僕は自然が好きで、特に森林・林業・木材産業に興味があって今に至る。

そして、木工を始めた理由は、父の歩んだ道を自分の歩いてみたいという思い、モノの一つも作れないで木の良さ、自然の良さを誰かに伝えることは出来ないだろうという思い、そしてモノづくりを活かして地元・福島のために何かをしたいという思いからだ(極端に言ってしまえば、モノを作ってみたくて仕方ない!という思いはそれほど強くないのかもしれない・・・)。

 

きっと、僕が目指すポジションは、「モノを作れる〇〇」みたいな感じなのだろう。もちろん、モノを作れることを強みにするなら、中途半端な技術ではなく、人前に出しても恥ずかしくないものを作れないとお話にならないので、まずはそこをしっかりと学びたい。

 

同時に、手段としての木工を活かすために、新しい世界も覗いていく。飛騨高山に来てからというもの、いかに自分が無知で世間知らずだったかというのを思い知らされる日々を送っている。でも、自分の中で0から1になる瞬間は、すごく体力が必要な変化なのだけれど、その分成長できていると実感できる。

 

9月、10月は工房での製作が忙しくなる。気力・体力ともに切らさずに、集中して乗り切っていこう。

 

 

 

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漫画「エデンの東北」から感じる、「懐かしさ」の正体

 とある漫画をご紹介したい。深谷かほるさんの「エデンの東北」という作品だ。

 

1970年代の東北の田舎町を舞台に、そこで暮らす4人家族の笑いあり涙ありの日常を描いた、1話完結の物語。はっきりと明言はされてはいないが、舞台は福島県石川町をモデルにしていると思われる。僕の地元だ。

作品中には、「今出川」や「県石(県立石川高校)」「水晶掘り」といった、石川町に関わりのある言葉が出てくる。何より、作者の深谷かほるさんも、石川町の出身だ。

 

この漫画を読んでこみ上げる感情の最たるものは、「懐かしい」という感情だ。

本来なら、1970年代に生きていなかった僕が、懐かしいだなんて思うはずもないのだが、豊かな自然の中で「吉田家」とその近所の人々が織りなす日常の風景に、心がジーンとなる。

 

そもそも「懐かしい」とはどういう感情か。僕なりの解釈は、今はもう失われてしまったものを五感で感じたときに覚える感情だと思う。

 

物語に登場する「吉田家」は、春は近所の桜の木の下でお弁当を食べ、夏は縁側でスイカにかぶりつく。秋は栗拾いやキノコ狩りをし、冬は雪ダルマを作ったり、そーっと白鳥を見に行ったりする。野菜やおかずのおすそ分けをし合い、祝言を挙げるとなれば近所総出で準備をする。

もちろん今でもこれが当たり前の地域はあるが、2020年現在、どれだけの場所でどれだけの人がこの「当たり前の日常」を過ごしているだろうか。

今でも変わらない日常、当たり前の日々ならば、懐かしいと思うことは無いだろう。懐かしさの正体とは、もう戻らない物事を寂しく思う感情なのかもしれない。

 

とはいえ、懐かしい出来事のすべてが、もう二度と戻らないことばかりではない。例えば、少年時代を過ごした友達と久しぶりに再会した時に、懐かしいと思うだろう。確かに少年時代は二度と戻ってこないが、かといってそれが切なさでいっぱいになるものとは限らない。むしろ、昔話に花が咲いて、心が躍ることだろう。

 

冒頭に戻ると、なぜ見たことのないはずの風景を懐かしいと思うのか。

今から40~50年前とは、僕の両親が幼稚園生か小学生くらいの時代だ。僕はエデンの東北を読むことで、両親が生きた風景を追体験している。両親から聞かされてきた当時の話の断片が、いつの間にか自分の中でバーチャルな田舎、石川町になっていた。だから1970年代に東北の片田舎にあった風景を見て、それを懐かしいと思い、今となっては変わってしまったことを切なく思うのだろう。

 

しかし、今の風景が悪いとは全く思わない。石川町も、福島県も、常に変化し続けている。僕にとっての日常は、いずれ誰かにとっての「懐かしい風景」になる。今を精いっぱい生きて、福島の風景の一部になれるような人生を送りたい。僕の根っこにあるのはやっぱり、「I love you and ineed you Fukushima」だ。

 

かつて東北にあった、いや、どこにでもあったであろう風景に興味がある方は是非、読んでいただきたい。自信を持ってお勧めできる作品だ。

 

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夏の終わり

長い長い梅雨が明けた。ここ数年カラ梅雨続きだったのもあって、今年の初夏は洗濯物が乾かず苦労させられた。それでも、夜な夜な近所のコインランドリーに100円握りしめて乾燥だけしに行くのは、嫌いじゃなかった。こういう季節もあるものだ。

 

さて、梅雨が明けたということは、いよいよ夏本番!であることは間違いないのだけれど、僕は今、

「ああ、今年も夏が終わるなあ…」

と思っている。

 

僕にとっての夏(というか夏休み)と言えば、ミンミンとセミが鳴く声で目が覚めて、扇風機を付けて、夏の甲子園を見て、夕方になると何となく縁側でボーっとして、夜は遠くから笛と太鼓の音が聞こえてくる、というもの。残念ながら、今年の夏は甲子園も祭りもない。夏の風景が、そこにはないのである。

 

あっという間にお盆も静かに終わりそうだ。そしてお盆の終わりは、気分的に夏の終わりを意味する(と勝手に思っている)。とりあえず明日から3日間だけだが夏休み。残された短い夏を感じたい。

 

ところで、夏の終わりと聞いて思い出す歌がある。はてなブログ今週のお題が「夏うた」ということで、ご紹介したい。稲垣潤一の「夏のクラクション」だ。

 

この歌を知ったのは、3年前の夏。夏休みを過ごした福島から職場のある長野へ帰る途中、ラジオから流れてきた。

丁度ふくしまFMで夏うた特集をしていて、田園地帯の長い直線道路を走っている時だった。あの夏もとても暑かったが、車の窓から入ってくる風はこの上なく気持ちよかった。

 

ここまで書いておいて言うのも何だが、僕は夏の終わりは嫌いじゃなく、むしろ好きだ。

 

1日単位で夏を切り取れば、カンカン照りの日中よりも、夕方のヒグラシの鳴く何とも言えない切なさの方が好きだし、夏という季節全体で切り取れば、盛夏よりも、暑さの中にどこか秋を感じさせる夏の終わりの方が、染み入るものがある。

桜は散り際が美しいと感じるのに似ているかもしれない。時間や季節が移り替わるときのグレーゾーンに、心が動く。

 

夏うたはたくさんあるけれど、盛夏を楽しむアップテンポの曲よりも、夏の終わりを惜しむ曲の方が何度も繰り返し聴いてしまう。「夏の終わり」というフレーズそれ一つ聞くだけで、胸の奥がジワーっとなるのは僕だけではないだろう。

 

夏のクラクション

夏のクラクション

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森が好きじゃない林業行政マンたち

森林ジャーナリストの田中淳夫氏のブログはよく拝見しているところであるが、2020年8月3日付の記事が、思わず膝を叩く内容だったので、紹介させていただきつつ、僕の思いを吐露しよう。

タイトルは「林野庁は教育官庁になる、か?」。内容は、林野庁と森林環境教育について。まずは以下のリンク先から一度是非ご覧いただきたい。

ikoma.cocolog-nifty.com

 

この記事の中で、深く共感した個所は、以下の通りだ。

林業現場でも、(潜在的に)森林なんか愛していなくて林業を金づるとしか思っていない人が大半なのだから。

森林ジャーナリストの「思いつき」ブログ 「林野庁は教育官庁になる、か?」

 

僕は木工を始める前、どことは言わないが林業系の行政機関に勤めていた。現場の事業体の皆さんが森林を愛しているかいないかは、僕には判断できかねるが、行政マン時代の経験を踏まえて、今こそ僕は言いたい。〇野庁の職員で、本当に森林のことを好きな人って少ないよね、と。

 

林〇庁は大きく「本庁」と「出先」で成り立っており、僕は「出先」に配属された。そこで気付かされたのが、そこにいたのは森林が別に好きでもなければ、林業を行政としてサポートしたいという情熱も持ち合わせていない人ばかりだったということ。正直言って、がっかりした。

 

もちろん、自然が好き、森林が好きで、林業界を何とかしようという気概にあふれた人は少なからずいたし、その人との仕事はとても楽しかった。ただ、国の林業行政は、そうではない多数の人によって運営されていた。

「この職場しか受からなかったから入った」

「山の中なんて仕事以外でなんか絶対入らないよ」

「登山が趣味?俺は絶対行きたくないね」

ベテラン職員だけでなく、中堅、若手職員すら口を揃えて言う職場は、田中氏の言葉を借りればまさに「絶望の職場」といった具合だった。

 

僕は、好きなことを仕事にしないということは、自分自身を無駄遣いしていることになると思うし、社会にとっても損失になると思っている。

どんなにテストの成績が優秀で、理屈を理解していたとしても、その物事を愛していなければ、それを愛している人には絶対に追いつけない。圧倒的な壁が存在するのだ。

行政マンは狭く深くより、広く浅く、幅広い守備範囲が必要で、仕事のえり好みは出来ない世界だという考えがあるのは分かる。多様な経験が積み重なって後々活きてくるという意見もあるだろう。しかし、スキルを積み重ねるには森林・林業という世界はあまりに広く、職業人生はあまりに短い。異動によってかつて経験した職種が再び回ってくる頃には、仕事のやり方も、世間を取り巻く情勢も大きく変わってしまっている。林野行政における広く浅く、の浅く、は、森林用語でいえば「Aゼロ層」程度の厚みしかないのである。

 

仕事に対する情熱もなければ、自然や森林のことを好きでもない、どうすれば定年まで何事もなく過ごせるかばかり考えている。いくら霞が関で政策を練っても、国有林行政の最前線がそんな人材で溢れていたら、トップダウンにすらならない。好きでもないことをやっている人間の集まりが、どうしてその世界を支え、変革していくことができようか。

 

田中氏が言うように、僕も「全体的に林野庁頑張れ」と言いたい。このままじゃ、日本の森林・林業は変わらず、現状維持が関の山だ。本来なら、林野庁には、国有林事業の適切な運営だけでなく、日本の森林・林業・木材産業に対する指導機関としてどっしり構えていくくらいの働きを期待したいのだ。なのに内部からバラバラでは・・・

 

林野庁の2020年度採用パンフレットにこう書いてある。

森林には無限の可能性があります。

私たちは森から人の未来を豊かにしたい。

この理念を持ち合わせた職員を集めるのは、そんなに難しいことなのか。

上司の働く姿で、若手職員が希望を持てる職場になることを願う。

 

(↓退職間際に書いた記事。ここでも不満がちらほらと・・・)

monono-aware.hatenablog.jp

 

 

 

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センスは無い、けれども辞めない

モノづくりの世界に入って4か月が経った。あっという間に8月になってしまったという印象だ。

 

この4か月間で、僕は何ができるようになっただろうか。

・工房で扱う樹種なら大抵見れば判別できるようになった。

・鑿と鉋の仕込みが出来るようになった。

・森林、林業、木材に携わる方々と知り合うことができた。

等々・・・

 

前職を辞めてこの世界に入ったことで、0から1になったとするなら、今は2~3くらいになれたのだろう。これを2年間で100まで伸ばしたい。

 

さて、この短いモノづくり生活ではあるが、だんだん分かってきたことがある。それは、自分は結構不器用で、木工のセンスも元々そんなに無いのだろうということだ。センスの有無を判断できるほど、まだモノづくりやってないだろうと諸先輩方には言われるが、まあこれはある程度当たっていると思っている。

 

でも悲観は全くしていない。高校生くらいのときから、薄々感じていたからだ。自分にはモノづくりのセンスが無く、モノづくりで稼げるほどの人間にもなれないと思っていた。

家業を継がず、勉強して大学行って、少なくとも建具屋よりかは稼げる仕事につくと決めたのも、今思えば逃げと諦めだった。毎日工場で木と向き合う父の後ろ姿はとても大きく、自分には越えられないどころか追いつくこともできないと感じていた。

 

でも結局、父と同じモノづくりの道を歩み始めている。そして、センスのなさを自覚したうえで、毎日木と向き合って、時に(というか結構な頻度で)叱られながら生きている。自分の中で、本当にたくさんの面で0から1になっていると日々実感している。

 

この世界を辞めようとは全く思わない。辞めようなどと思うことがあろうか。自然素材を己の体で感じてモノを創り出していくこの世界は、少なくとも虚業ではないと自信を持って言える。

 

一度でも自分の生き方に疑問を感じてしまったら、もうおしまいだ。そして今の自分には、迷いはないし、迷う暇さえない。消えない悩みを抱えて眠れぬ夜を過ごすより、家に帰ったら疲れで気絶するように眠る日々を送る方が、僕にとってはよっぽど健全だ。

 

20代後半、人生の中で最も濃い時間を送っている。

 

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