もののaware

飛騨にありて福島を思う

夏の終わり

長い長い梅雨が明けた。ここ数年カラ梅雨続きだったのもあって、今年の初夏は洗濯物が乾かず苦労させられた。それでも、夜な夜な近所のコインランドリーに100円握りしめて乾燥だけしに行くのは、嫌いじゃなかった。こういう季節もあるものだ。

 

さて、梅雨が明けたということは、いよいよ夏本番!であることは間違いないのだけれど、僕は今、

「ああ、今年も夏が終わるなあ…」

と思っている。

 

僕にとっての夏(というか夏休み)と言えば、ミンミンとセミが鳴く声で目が覚めて、扇風機を付けて、夏の甲子園を見て、夕方になると何となく縁側でボーっとして、夜は遠くから笛と太鼓の音が聞こえてくる、というもの。残念ながら、今年の夏は甲子園も祭りもない。夏の風景が、そこにはないのである。

 

あっという間にお盆も静かに終わりそうだ。そしてお盆の終わりは、気分的に夏の終わりを意味する(と勝手に思っている)。とりあえず明日から3日間だけだが夏休み。残された短い夏を感じたい。

 

ところで、夏の終わりと聞いて思い出す歌がある。はてなブログ今週のお題が「夏うた」ということで、ご紹介したい。稲垣潤一の「夏のクラクション」だ。

 

この歌を知ったのは、3年前の夏。夏休みを過ごした福島から職場のある長野へ帰る途中、ラジオから流れてきた。

丁度ふくしまFMで夏うた特集をしていて、田園地帯の長い直線道路を走っている時だった。あの夏もとても暑かったが、車の窓から入ってくる風はこの上なく気持ちよかった。

 

ここまで書いておいて言うのも何だが、僕は夏の終わりは嫌いじゃなく、むしろ好きだ。

 

1日単位で夏を切り取れば、カンカン照りの日中よりも、夕方のヒグラシの鳴く何とも言えない切なさの方が好きだし、夏という季節全体で切り取れば、盛夏よりも、暑さの中にどこか秋を感じさせる夏の終わりの方が、染み入るものがある。

桜は散り際が美しいと感じるのに似ているかもしれない。時間や季節が移り替わるときのグレーゾーンに、心が動く。

 

夏うたはたくさんあるけれど、盛夏を楽しむアップテンポの曲よりも、夏の終わりを惜しむ曲の方が何度も繰り返し聴いてしまう。「夏の終わり」というフレーズそれ一つ聞くだけで、胸の奥がジワーっとなるのは僕だけではないだろう。

 

夏のクラクション

夏のクラクション

  • provided courtesy of iTunes

 

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