もののaware

飛騨にありて福島を思う

センスは無い、けれども辞めない

モノづくりの世界に入って4か月が経った。あっという間に8月になってしまったという印象だ。

 

この4か月間で、僕は何ができるようになっただろうか。

・工房で扱う樹種なら大抵見れば判別できるようになった。

・鑿と鉋の仕込みが出来るようになった。

・森林、林業、木材に携わる方々と知り合うことができた。

等々・・・

 

前職を辞めてこの世界に入ったことで、0から1になったとするなら、今は2~3くらいになれたのだろう。これを2年間で100まで伸ばしたい。

 

さて、この短いモノづくり生活ではあるが、だんだん分かってきたことがある。それは、自分は結構不器用で、木工のセンスも元々そんなに無いのだろうということだ。センスの有無を判断できるほど、まだモノづくりやってないだろうと諸先輩方には言われるが、まあこれはある程度当たっていると思っている。

 

でも悲観は全くしていない。高校生くらいのときから、薄々感じていたからだ。自分にはモノづくりのセンスが無く、モノづくりで稼げるほどの人間にもなれないと思っていた。

家業を継がず、勉強して大学行って、少なくとも建具屋よりかは稼げる仕事につくと決めたのも、今思えば逃げと諦めだった。毎日工場で木と向き合う父の後ろ姿はとても大きく、自分には越えられないどころか追いつくこともできないと感じていた。

 

でも結局、父と同じモノづくりの道を歩み始めている。そして、センスのなさを自覚したうえで、毎日木と向き合って、時に(というか結構な頻度で)叱られながら生きている。自分の中で、本当にたくさんの面で0から1になっていると日々実感している。

 

この世界を辞めようとは全く思わない。辞めようなどと思うことがあろうか。自然素材を己の体で感じてモノを創り出していくこの世界は、少なくとも虚業ではないと自信を持って言える。

 

一度でも自分の生き方に疑問を感じてしまったら、もうおしまいだ。そして今の自分には、迷いはないし、迷う暇さえない。消えない悩みを抱えて眠れぬ夜を過ごすより、家に帰ったら疲れで気絶するように眠る日々を送る方が、僕にとってはよっぽど健全だ。

 

20代後半、人生の中で最も濃い時間を送っている。

 

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