もののaware

飛騨にありて福島を思う

建築は芸術だ!

現在住んでいるシェアハウスには、自分と同じ工房で修行をしている同期がいる。

彼は大学で建築を学び、木工の世界へやってきた。将来的には、建築家やデザイナーと組んで仕事が出来ればいいなと語ってくれた。

 

ちなみに僕にとって建築とは、難解な世界というイメージ。というのも、大学で僕は木材の物理的性質や木造住宅について研究をしていたのだが、日々木材の耐久試験と物理計算に追われ、物理学が大の苦手な僕にとってそれは苦行でしかなかったからだ。

(少し脱線するが、ではなぜそんな道を選んだのかというと、森を理解し、その魅力を多くの人に伝えていくためには、森の恵みの最たるものである木材のことを理解しないことには始まらないと感じたからだ。修行は大学時代から始まっていたのである。確かに物理学はしんどかったが、この道を選んだことを後悔はしていない。)

 

話を戻すと、彼は建築の世界で木工を活かそうとしている。建築か、中々難しい世界から来たんだねと僕が笑いながら言うと、彼はすかさずこう言った。

「いや、建築は物理だけやっていればいいわけじゃないですよ。保育園を作るならば社会福祉にも詳しくないとだめだし、美術館を建てるなら芸術にも精通していなくちゃならない。建築とは、建物を通して社会をデザインすることなんです。」

なるほど、目からうろこが落ちた。僕が思っていた建築は、本当に氷山の一角でしかなかったようだ。

さらに彼は、建築を通したまちづくりに成功している地域をいくつか紹介してくれた。山形県金山町、富山県富山市八尾町など・・・いずれも、地元の木材を使って地元の大工が家を作り、それが地域の当たり前の風景になっているという。これらがどのような点でまちづくりになっているのかについては、僕自身もう少し勉強してみようと思う。特に八尾町はここ高山市からそんなに遠くないので、彼に案内してもらおうと思う。

 

その後も、いかに僕が建築のことを知らないかや、建築を通して町を作っていくことについて熱く語ってくれた。そして最後にこう付け加えてくれた。

「建築ははるか昔からの総合芸術なんです。レオナルド・ダ・ヴィンチが発明家としての側面を持っていたように、建築家、モノづくりをする人間は芸術家なんです。」

ああ、なるほど、その通りだ。僕は感動を覚えた。

僕が何となく思い描いている、モノづくりで地域を元気にするということ。そのためには、人の心を動かす「アート」とからのアプローチと、理論に基づいた「サイエンス」からのアプローチの両方が必要だと感じていた。そして、箱モノを作ることだけでなく、そこからの面的な広がりがあることも大切だと思っていた。

monono-aware.hatenablog.jp

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それを彼はしっかりと思い描き、言葉にしていた。常日頃思っていることだから、すぐに言葉として出てきたのだろう。モノを作って社会をデザインするとは、モノを通して人の心を動かすことだと、彼は改めて僕に気づかせてくれた。やっぱり畑の違う人との出会いはいいものだ。

建築は芸術か、いい言葉だ。生まれ変わったら建築の勉強も悪くないな、そう言ってみたら、

「いや、物理は絶対やらなきゃだめですよ(笑)」

アートはサイエンスを動かす。しかし世の中には、心が動くだけではどうにもならないこともある・・・。