クヌギを蹴る
木工は常に屋内作業。毎日17時に工房での作業が終わると、ひとまず屋外へ空気を吸いに出る。ここ最近はバケツをひっくり返したような雨が続いていたが、今週は少し落ち着いてきた様子。梅雨明けも近いかと期待が膨らむ。
先日、作業終わりに外に出ると、ちょうど雨が上がった時だった。森に囲まれた工房の周りではヒグラシが鳴いていて、いかにも森らしい湿った空気が立ち込めていた。この匂いを嗅ぐたびに思い出すのは、むかしむかしのカブトムシ捕りだ。
小学生の夏休み、夕方になるとジムニーJA11に乗りこんで雑木林に向かう。ほぼ藪みたいな森をかき分け、お決まりのクヌギの木へたどり着く。定番の蜜やライトを使ったトラップはほとんど使ったことは無く、とにかく父がクヌギを蹴り飛ばしてカブトムシやクワガタを落とし、藪に落ちた音を頼りにそれらを回収するのが我が家の虫捕りだった。
しかしながら、農道沿いから入れる採集ポイントはいくつもあったはずなのだが、今では全くその場所が分からない。正確に言うと、風景の記憶はあるが、思い当たる場所を何回巡っても、それらしき場所を見つけられない。父に聞いても、切り拓かれて無くなってしまったのだろうと言っていた。少し寂しいが、あのときの思い出は確かに自分の中に残っている。
匂いで20年以上前の出来事を思い出すような体験ができて、幸せだと思う。どんな大富豪であっても、いくらお金を積んでも、「幼少期の体験」を今から手に入れることはできない。父の真似をして、太いクヌギを何回蹴っても、全く揺れず何も落ちてこなかった夕暮れの思い出は、自分にとって誇れる財産だ。
今となっては、田舎ですらあまり見かけなくなったクヌギの森を、守り継いでいければと漠然と考えている。一人でも多くの子供たちが、クヌギの木を蹴る経験が出来ることを密かに願っている。