もののaware

飛騨にありて福島を思う

トンネル

僕の毎日の通勤路(通学路?)は、車で片道20分。その7割近くがトンネルだ。しかも高速道路の無料区間と自動車専用道を走っているため、たまに見える景色も味気ない。毎日毎日気が滅入る時間になってしまっている。

 

そんなトンネル通勤路が、今週いっぱいは工事により夜間通行止めになったようで、帰りが遅くなると迂回を余儀なくされることになった。下道を通ると、10分程度かかり増しになる。

 

昨晩は用事があったため、下道の旧道を通って家路についた。するとどういうことだろう、車の通りも街灯もあまり無い田舎道が、とても気持ちのいい道路に感じられた。

いつもより時間がかかるかどうかなんてどうでも良くなった。暗闇で景色が見えなくても、トンネルを通らないだけでこんなに気が楽になるものだったのか。

 

トンネルや隧道は、先人の苦労の結晶だ。たくさんの人がその恩恵を受けていて、僕自身もその一人だ。だが、出来ることなら通りたくない構造物でもある。空気は悪いし空の広さも深さも分からない(そういえば友人に、自転車の旅をしていて、福島県西郷村から下郷町に抜ける長い長い甲子トンネルの中でカップ麺を食べたやつがいる。たいしたもんだ)。

そういう意味では、都会の空気もまたトンネルみたいなものだなと思う。きっと僕には暮らせない場所。

 

明日からは、朝も下道を使ってみようか。清々しい空気を吸い込みながら、深い山々を眺めながら、ゆっくり田舎道を走るのもいいだろう。

トンネルの中では、季節が変わっていく様を感じられない。飛騨高山は、すでに秋の匂いが漂い始めている。寒くて億劫になりそうだけど、頑張っていつもより10分、早起きしてみよう。

 

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