もののaware

飛騨にありて福島を思う

「きぼうのとり」を読んで

福島県天栄村を拠点にする、家具職人・お絵描き好き・編集者(Facebook原文まま)の3人からなるユニット「みず文庫」さんとお話しする機会がありました。福島県白河市南湖公園にオープンしたアトリエもさることながら、ご本人もとても素敵な方々でした。

 

僕自身初対面にもかかわらず、気さくにお話しいただきまして、出身や経歴から始まり、こどもキャンプに参加した話から自然体験、公教育、環境教育、そして震災と原発事故について、福島にいないと知りえない情報も交えてお話をすることができました。

 

その中で拝見した1冊の絵本が、タイトルにもある「きぼうのとり」でした。震災と原発事故からから10年になるのを機に、2021年3月11日に出版された、企画・福島民報社、絵・文・みず文庫さんの絵本です。

 

物語では、当時10歳で被災した子供たちの、10年たった今の姿が描かれています。

この本を読んで、僕自身忘れかけていた様々な思いが掻き起こされまして、当時被災した子供たちは、もう立派な大人になっているんだと気づかされました。

 

17歳で震災を経験し、将来は福島のためになにかやってやろうと思い、27歳の今そろそろ何かできるかなと思っていましたが、当時10歳だった子供たちでさえもう20歳、福島のために何かできる、あるいはもう何かしている「プレイヤー」になっているのかと思うと、時間の経つ速さを感じるとともに心強さを覚えます。

 

10歳の目で見た、感じた震災と原発事故は、いったいどのようなものだったのでしょう。当時高校生だった自分は、当初何が起こっているのかいまいち把握できないでいましたが、周りの大人たちの戸惑っている姿を見て、なにか大変なことが起きているのだと感じていました。当時高校生の自分ですらそうだったのですから、それが当時10歳の子供たちにはより恐ろしいものに写っていたのではないでしょうか。

 

子供は大人の背中をしっかりと見ています。大人も大人の背中を見ています。背中で勇気づけることもできれば、不安を煽ることもあります。そして、震災当時、自分を守るために動き回ってくれた大人たちの姿を改めて思い返すと、不安な感情はありつつも、トータルで思い返せば頼れる大きな背中だったと記憶しています。

 

うれしい時も悲しい時も、自分を支えてくれる存在は必ずいて、自分自身も誰かを勇気づける存在であると、物語では語られます。僕自身、震災から何年たっても何も恩返しできていないなと悔しさを感じることもありましたが、そんな自分でも実は何かできているのかなと、少し報われたような気持ちになりました。

大人になってから読む絵本は、子供の時と違った目線で楽しめるものですね。素敵な絵本でした。

 

きぼうのとりについて詳しく知りたい方は、福島民報特設サイトを是非ご覧ください。

kibounotori.jp