もののaware

飛騨にありて福島を思う

各種メディアへ。311の報道量を減らさないで。

今年の3月11日は、新型コロナウイルスのせいで目立たずに終わってしまうのではと心配している。

 

すべての日本人が、震災と原発事故の影響を受けたわけではない。正直言って、他人事のように思っている人も少なくないと思う。日本人は皆今を生きるので精いっぱいだ。常に全員が震災のことを思って生きてはいないし、それが辛い人もいる。

 

メディアも年がら年中震災のことを報じるわけではない。それでも、この日が近づくと、こぞって「あと〇〇日で震災から〇年」と報道し始め、どんなに忙しい人でも「震災」「原発」の文字を見聞きすることになる。ニュース番組に占める情報量も増え、震災について知る機会が増える。

 

今、私たちにとっての3月11日とは、震災と原発事故に対する感度が高まる日なのだ。

 

毎年のこの時期が、これからの地域社会の在り方、災害対策、エネルギー問題などについて考えるきっかけであり続けてほしい。あの日から誰も何も学べず、社会が何も変わらないことも震災の風化と言えると思う。

 

どうか、各種メディアは、震災・原発の報道量を減らさないでほしい。

 

新型コロナウイルスも重要な課題であり、報じなくてはならない内容だろう。でも、震災から9年がたっても、災害をめぐる当時の対応について新しい情報が出続けているし、福島県は今も風評被害に苦しんでいる。

原発廃炉や溜まり続ける汚染水問題に至っては、もはや福島だけの問題ではない。

 

3月11日までは震災に対する感度が高まっていくが、3月12日にはそれが冷めるのはわかっている。悔しいが祈念日とはそういうものだ。

 

だから、3月11日までは、一人でも多くの人が過去から学び、未来について考える機会を与え続けてほしい。

 

良くも悪くも、メディアの力は強力だ。良い方へとフル稼働することを祈っている。