もののaware

飛騨にありて福島を思う

災害と選択の繰り返し

本を読んでいて印象に残った内容をご紹介。

 

1973年、アイスランド沖のヘイマエイ島という島で火山の噴火が起きました。幸い住民のほとんどが無事に救出されましたが、住民の約3分の1が家屋を失うことになりました。

 

これに対し政府は補助金を支給し、住民はそのお金で家を再建してもいいし、どこか別の場所へ移住してもいいことになりました。ヘイマエイ島の住民の多くは先祖代々の家業である漁業に従事し、自分自身これからも、そして次の世代も漁業で生きていくという前提で生きてきたと言います。そこで発生した噴火という災害によって、住民は自分たちがこの先どうやって生きていくのかという問題に嫌が応でも向き合わざるを得なくなりました。

そして結果的に、家を失った住民の42%が島を出るという決断をしたと言います。

 

そしてこの話には続きがあり、その後の追跡調査により、家を失って島を出た人々の生涯収入が、島に残った人々のそれを大きく上回っていたことが分かりました。

さらに、家を失わずに済んだ人々の27%も、その後島を出るという決断を下し、結果彼らの生涯収入もまた島に残った人々を上回っていたといいます。

 

この結果に対し、著者の山口周氏は、このように述べています。

どれもこれもすべて、噴火という「短期的には不幸な契機」によって、「この後、自分はどのようにして生きていくのか」という問いにしっかりと向き合わざるを得なくなった、という唯一の根本原因によっているのです。 

 

確実に言えることは、「この先、自分はどのようにして生きていくのか、これまでの人生を続けて、それでいいのだろうか」という問いにしっかりと向き合い、おそらくほとんどのケースは直感的に「それは違う」という決断を下した、ということです。 

 

全編を通して、コロナウイルスという「短期的には不幸な契機」に、自分たちがどう向き合い、これからどのような生き方を選択し、どのような社会を築いていくかを述べています。

 

コロナもそうですが、僕はこのヘイマエイ島の話に、10年前の震災と原発事故を重ね合わせながら読みました。日常の中に突如訪れた不幸な出来事に対し、多くの人が生活を変えることを余儀なくされ、人生が大きく様変わりしました。ヘイマエイ島と同様に、多くの人が、自分の生き方に向き合わざるを得なくなりました。

僕自身の身に起こったことでいえば、家計の変化で、大学の学費と入学金が一部免除になりました。もし震災と原発事故が起こらなかった場合、僕は経済的に大学に通うことができていたのだろうか、通えたとしても、収入を得るためのアルバイトに追われ、大学生活は違うものになっていただろうと、今でも思い返します。

福島のこと自体、好きとも嫌いとも何とも思っていなかったかもしれません。それが今では、福島に帰りたいと思っています。いろいろ思うことあっての気持ちです。

 

 

このコロナ禍でも、たくさんの人が生き方や働き方に対し疑問に思うことがあると思うし、それはきっと正しい。コロナ禍でなくたって、学校でも、職場でも、日常でも、ふと疑問に思ったり、すこしおかしいんじゃないかと思うこと自体、その感情自体に間違いというものはありません。

 

壁にぶつかって、選択を迫られて、選んでの繰り返しで、その壁がたまにめちゃくちゃ高かったりしますが、とにかく何かしら選択して、その道を進むことが大切なのだろうと思います。あのとき別の選択をしていれば・・・という後悔は必要なくて、すべて正解の選択になると思っています。

 

このコロナ禍で変わる社会、選ぶ道、もうすこしじっくり考えてみます。