もののaware

飛騨にありて福島を思う

アートがサイエンスを動かす

福島の未来について、肩書を忘れて楽しくディスカッションしようという「ふくしま学(楽)会」。そこで出会った印象的な人や言葉をまとめるシリーズの第3段。

 

第1回、第2回はこちら↓ 

monono-aware.hatenablog.jp

monono-aware.hatenablog.jp

 

 

 

今回はこちら

「アート」

 

いろんな箇所で出てきて、とにかく印象に残ったワードが「アート」である。

 

科学(サイエンス)と芸術(アート)を組み合わせ、新たな文化を生み出し、福島の教訓を未来へ繋いでいく、といった文脈で使われたりした。

 

しかし、アートで地域おこしと聞いて、初めはいまいちピンとこなかった。

 

自分にとってアートとは、一言で言えばある種の隔絶された世界。誤解を恐れずに言えば、美的センスのある一部の人間の世界。一般人は置いてきぼり。

そんな分野が、浜通りの再生にどう結びつくのか、不思議に思いつつ、興味が湧いたので、まずはアートについて自分なりにどういった世界か理解してみることにした。

 

その中で、自分の周りにはアートは当たり前のように存在していたことに気づいた。

 

例えば、田んぼ「アート」。

福島県中に位置する鏡石町は、田んぼアートで有名だ。毎年、「窓から眺める絵本 もう一つの図書館」をコンセプトに、鏡石町立図書館の隣の水田に童話や昔話のワンシーンが作られる。

地元の農業高校生が農家の皆さんと協力して製作しており、震災後の2012年から始まったこの取り組みに、地域の人達は今年のテーマは何かと楽しみにする。

 

ほかにも、新潟県十日町市津南町を舞台に3年に1回行われる「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」。雪深いこの地で古来からの人の営みで生まれた「人の営みと里山の文化」に焦点を当て、十日町市津南町のあちこちに200以上のアート作品が作られる。中には廃校や昔の農機具小屋をアートにしたものもある。

私も1度見に行ったが、故郷福島の自然を思い出して、とても懐かしい気持ちになり、様々な感情が強く揺さぶられた。作品は次回開催日まで展示され続けるため、いつでも見に行けるため、この地域を訪れた際には是非。

 

こういった例から考えると、アートとは、人の感情を揺さぶる何か、であり、冒頭述べた「サイエンスとアートを組み合わせること」とは、「理論と情緒の両面から物事を考える」ことの大切さを説いているのかもしれない。

 

昔から、生きていくうえで理詰めでは解決できないものがあると感じてきた。特に、震災、原発事故があり風評被害が起きてからは、科学の力の無力さと目に見えない感情の恐ろしさを感じていた。

 

科学の力は偉大だ。だがそれと同じくらい情緒の力は偉大だ。

 

私が職人になりたい、福島に戻りたいと思ったのも、家にたくさんの木材があって、父親が機械や手工具を操ってものを作る姿や、実家の周りの豊かな自然が見せる四季の移ろいに今でも心を揺さぶられ、それを残していきたいと思うからだ。

 

アートのことを、一部の人の世界だと思っていた。しかし、地域や自分たちを表現する方法、そして何かに感動する方法、これらは決して芸術学校で学ぶものだけではないのだろう。

私達は芸術の専門的な教育を受けていなくとも、桜が散る姿に美しさと儚さを覚え、夏の夕暮れとひぐらしの声に切なさを覚える。

 

アートとは、物事に情緒からアプローチする手段なのだ。アートを通して、私達は人の営みや文化、自然といった私達を取り巻く環境について、それぞれ自由に感じ、考えることができる。

 

浜通りの過去と今、これからを、科学と情緒の両面から表現していく、それが、アート&サイエンスだと解釈した。浜通りが目指していることが、少し理解できた気がする。ワクワクするコンセプトだ。

 

ところで、be movedと書いて感動すると読む。

感動するということは、心が動くこと。そして心が動けば行動に移る。つまり体も動く。

科学と情緒の両方が大事と述べたが、実は科学よりも情緒がまず先にあるのかもしれない。そう考えると、アートから始まる地域おこしは当然の流れなのだろう。

 

自分の心が動く瞬間を大切に生きていきたい。それは新しい行動の始まりかもしれないから。