もののaware

飛騨にありて福島を思う

なにもしない時間


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先週の福島県地震、実家のある石川町はそれほど被害が無かったようです。しかし県内では人的被害や土砂災害が確認されました。

震災・原発事故から10年の節目を迎えるこのタイミングでの最大震度6強地震に、何かを感じてしまいます。コロナ禍の今、もし東日本大震災級の地震が起きたら、どうしよう?どうにかするしかない。でも、どうにかする準備が出来ているのかというと自信を持ってハイとは言えない。改めて持ち出し袋を整理しようと思います。

 

さて、今日のテーマは「すきま」。毎週日曜は家具屋でアルバイト。一日の作業を終えて、店内の灯油ストーブに電動ポンプを差し、スイッチを押したあと、思わず、ふぅと息をつきました。そしてふと思いました。「今おれ、なにもしてないな」って。

 

なにもしていない、とは、文字通りなーんにもやってないという意味です。いかに、自分の生活は「何かをする」ということで埋め尽くされているかに気付きました。それが例え、休んでいる自由な時間であっても。

 

最たる例が、スマホをいじるということ。一息つく時でさえ、無意識にスマホを触ってウェブ閲覧やSNSを見てしまう。休んでいるように思えて、実はスマホから情報を得ることに注力してしまっています。結果それは真に休めていない。

 

一方で、給油をしているときは、タンクから溢れないように気にしている必要があるし、灯油ポンプ触った手でスマホなんて触る気にはなりません。他のことをする余裕も実は無い。しかも給油の時間自体はそんなに長いものではない。だから必然的に、「なにもしない」時間になるのですね。そしてそれが最近の自分にとって、数少ない真の休み時間になっているなーと思いました。

 

さて、そんな時間がどれだけ自分に訪れるだろう。上手く休むってのはこんなに難しかったのかね。

 

給油が終われば、現実に戻されるような感覚がします。今日は一人回転寿司を食べて、明日に備えることにします。

 

そろそろ暖かくなってきて、給油の機会も減っていくかな。それまでに、真に休める時間を作れるようにしないとな。

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