もののaware

飛騨にありて福島を思う

建具屋親子の共通言語

小さい頃は実家の工場(こうば)で遊んでいた。横切り機や手押し鉋盤の周りを駆けずり回り、オイルやグリースの差し口を見つけてははしゃいでいた。角ノミ盤で木っ端に穴を空けてもいた。いつも父が近くで見守っていたわけではなく、今思えばけっこう危険なことをしていたと思う。

 

それでも一度だけ、危ないとしっかり叱られたことを覚えている(実際には何回も叱られていたのだろうが・・・)。小学校に上がる前、手押し鉋盤の起動中に、回転する刃物と上盤の間の空間はどうなっているのだろうと気になって、そこにカンナくずを差し込んでみようとした。

 

それをたまたま近くで見ていた父に、馬鹿野郎とすさまじい剣幕で叱られ、引っ叩かれた。当然の行動である。父が近くで見ていなければ、僕の指は無くなっていたかもしれない。

 

そんなことがあってからも、工場で遊ぶ日々は続いたわけだが、年を重ねるにつれだんだんそういうことはしなくなり、また建具屋という仕事が、社会的にどのくらいの立ち位置にいるのかという現実的なことも、子供心ながらに感じ取るようになり、何となく工場とは距離を置くようになった。それだけでなく、父の生業である建具屋という仕事からも目を背けるようになっていった。

 

そんな自分も、不思議なもので20代後半になってから木工の道を歩みだした。まだまだ分からないことばかりだが、木工機械や手工具の名称や使い方などを少しずつ理解し始めている。

 

特に、工房でたくさんの木工機械に触れていく中で、実家の工場の風景を思い出すようになった。帰省しても覗くのを避け続け、ほぼ忘れかけていた風景だったが、海馬にはきちんと記録されているようだ。

 

いつしか食卓でもタブー視されるようになっていた、建具業の将来と木工機械の行方。話そうと思ったこともあったが、何から話せばいいのか分からない状態だった。

 

でも今なら父親と木工の話ができる気がする。木工を始めてまだ3か月だが、木工屋と話すための共通言語は身に着けた。いつ帰れるかは分からないが、工場のボロボロのダルマストーブの前でコーヒーを飲みながら芋でも焼いて過ごす時間を夢見ている。

 

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