もののaware

飛騨にありて福島を思う

職人の手

木工機械の使い方を教わるときは、教えてくださる先輩の手元を見る。もちろん、機械に対する体や刃物の位置関係、木材の挙動など、見なくてはならない物はたくさんあるが、最終的に目が行くのは「手」だ。

 

1週間前、木工を始めたとき、僕の手には傷がなく、柔らかい「綺麗な手」だった。そんな手が木工作業に耐えられるはずもなく、今では内出血や切り傷ができ、全体的に赤くなり、皮が剥けていたりする。

 

一方、先輩方の手は硬く、重厚感がある。僕たちが扱う木材は、ささくれ立っている、トゲの塊のような材料だ。木工機械への巻き込まれの恐れがあるため、手袋は着用しないし、手の平は敏感かつ優秀なセンサーであるため、素手で触れることで得られる情報も多い。

長年の木工作業で鍛え上げられた職人の手の平は、それ自体が一つの道具であるかのようだ。木を扱うプロの手として特化したそれからは「用の美」すら感じられる。思い返せば、幼いころ触れた父の手もそうであった。

 

自分の手は、2年後どのようになっているだろうか。世間を知らない箱入り娘のようなこの手は、生きていくための力強い手になれるだろうか。

 

先の見えない社会の中で、自然と人とをつなぐ手になりたい。