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飛騨にありて福島を思う

長屋コミュニティ

「長屋」という作りに妙に憧れる。

 

長屋とは、通りに面した複数の入り口と部屋を持つ1つの長い建物のことで、特に江戸時代の町人の家のイメージとして広く知られている。

かつて多くの人々が長屋で暮らし、面する通りは人々の憩いの場であり、子どもたちの遊びの場でもあったことだろう。そこには多くのスペースを共用し、管理する考えがあり、井戸の周りで「井戸端会議」が行われたりした。

 

今となっては住居としての長屋はすっかり見かけなくなってしまったが、長屋という作りは商店街という形で今でも残っている。

 

新潟市にある「沼垂テラス商店街」は、かつての港町の長屋形式の市場を改修してできた商店街だ。

 

時代の流れとともにシャッター通りとなっていく町を見て、この町出身の姉弟が発起人となり始まったという。

 

現在カフェやギャラリー、家具、花、青果など、様々な専門店で賑わっており、テナントへの出店希望が後を絶たないとこのと。一度訪れてみたいと思っている。

 

さて、通りに面した入り口を持つ、1つの建物という点では、大型ショッピングモールの専門店も長屋と言えるかもしれない。しかし、少し違う気もする。

 

ショッピングモールはいわば箱であり、その中で経済が完結している。そして専門店同士の競争もあり、店の入れ替わりも激しい。

対して商店街はそれぞれが持つ生業の多様性を大切にしており、互いの強みを活かしながら地域の経済圏を作り出す。そこに競争があっては成り立たない。

 

私達は、多くの人で賑わうイオンを見ても、そこから町の活気は感じないだろう。

しかし、たくさんの人が訪れる商店街を見たとき、この町には活気があると感じる。逆も然りで、寂れた商店街を見て、寂れた町だと感じる。

 

つまり、私達にとって、商店街とは町そのものなのだ。だから、元気な商店街があってほしい。

 

沼垂テラス商店街を中心に多くの人の動きが生まれ、その影響は周辺地域へと広がっている。そこには、行ってみたいと思える店と、会ってみたいと思えるような人がいる。

 

たとえ厳密に同じ1つの建物でなくとも、多様性を尊重してみんなで1つの経済圏を作ろうという集まりは、共助の精神を持つ長屋と同義だ。自分が長屋に憧れる理由はそこにある気がする。

 

いつか、いろいろな職人が集まった1つの通りができたらいいなと思う。職人だけじゃない、できるだけ沢山のジャンルの専門店が集まった場所。そこにはこだわりの品があり、会いに行きたくなるような店主がいる。

何かを買いに行くだけでなく、何もなくとも訪れたくなる場所。たわいもない話をしに行くだけでもいい。そこに行けば、何かがあり、誰かがいる安心感。

 

人付き合いの希薄さが叫ばれる現代において、長屋を中心としたコミュニティは意外と復活のチャンスがあるのかもしれない。

「井戸端会議」したい人、集まろう!