もののaware

飛騨にありて福島を思う

クワガタ来訪記

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工房に一人の訪問客。ミヤマクワガタのオスである。

 

実物を見るのは子供のころ以来だったかもしれない。それでも東部の特徴的な突起を見て、一目でミヤマクワガタだと分かったくらいだから、幼少期の自然体験は侮れない。

 

あの頃はよく、親に連れられて木を蹴っ飛ばしに行ったものだった。家には虫かごがずらっと並んでいて、クワガタとカブトムシと、カラフルなゼリーが入っていた。あとは実家が建具屋なので、おが屑とか木っ端とか入れていた。

 

昆虫といえば、福島県田村市にある「ムシムシランド」を思い出す。旧常葉町にある公設民営の自然園で、常葉町特産の葉タバコ用を栽培するための腐葉土からカブトムシの幼虫がたくさん見つかったのがきっかけで、カブトムシをはじめとした甲虫のテーマパーク設立に至った。

 

このムシムシランド、今でも盛況のようで、いつの時代も子供はカブトムシ・クワガタに興奮するのだと少し安心した。というのも、僕の幼少期ですら、昆虫採集をする家は少なかったと思われるため、現代っ子はもっと昆虫採集から離れてしまっているのではないか・・・と謎の心配をしてしまう。

 

昆虫側からすれば人間に採集されずに済むから良いことだと考えることもできるが、昆虫に触れたことのない子供は、昆虫が人間の意外と身近で生命の営みを行っていることに実感を持てないまま育つので、昆虫はもちろん、自然への理解を広める機会を一つ失うことになるからそれはそれで良くないと思う。

 

まあこういう話をすると、自然を守ろうという考え自体がエゴとか綺麗事とかどうのこうのって話に広がりがちなのが辛いが、なんにせよ大人になってもクワガタに興奮できる自分であったことには嬉しさを覚えた。

 

たくさんの人に、昆虫に限らず野生の生き物にぜひ触れてみてほしい。暴れたりグネグネ動いたりするけど、奴らが脈打って生きているのが伝わってくる。そして、その辺の林でこいつら生きてんだなあと思うことができれば、近所の何の変哲もないちっちゃな雑木林はきらめいて見えてくる。

 

 (一年前にもムシの記事書いていました↓)

monono-aware.hatenablog.jp

 

 

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「雨にキッスの花束を」梅雨が楽しくなる名曲

 飛騨高山では久しぶりに雨が降り出し、そういえば梅雨の真っただ中だったと思い出しました。

 しかし梅雨で検索をかけると、なんと関東甲信以北はまだ梅雨入りしていないとか。いくら何でも遅くない?こんな年もあるのですね。

 雨が降ると個人的には気が滅入りますが、野菜にとっては久々の恵みの雨?工房農園に仲間入りしたナスと枝豆よ、大きく育て!

 

 さて、今日はぐずついた天気すら楽しくなりそうな1曲をご紹介。

 

雨にキッスの花束を / 今井美樹(1990年)

 ポップで明るいラブソングです。情景が思い浮かぶ歌詞が好きで、この曲は特にサビの日本語まわし?がとっても良い!雨が降っているシーンがこんなにも楽しく描けるなんて、すばらしい。

 浦沢直樹さん原作のアニメ「YAWARA!」のオープニングテーマにもなっていました。時間があれば、YAWARA!も観たいところです。

 あと個人的に、今井美樹さん大好きです・・・いくつになってもお綺麗です・・・

 

雨にキッスの花束を

雨にキッスの花束を

  • provided courtesy of iTunes

 

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紅一点


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先日、渓流釣りに出掛けた際の一枚。

うっそうとしたスギ林の中で、緑に囲まれたモミジを発見。

不思議なことに、このモミジにだけスポットライトのように光が当たっていました。

これを見て「紅一点」という言葉が思い浮かびました。調べてみると、もとは漢詩において、「緑の草むらの中に赤いザクロの花が咲いている」風景から生まれた言葉だとか。

現在では、男性の中に一人混ざっている女性のことを指す言葉になってしまいましたが、なるほど、今回のモミジはまさに「紅一点」の由来に近しいものなわけです。

そして紅一点=女性を指すという意味合いは、古い価値観の言葉って感じですね。この意味ではだんだん使われなくなるんじゃないかなあ。

 

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Just Rock'n Roll!

近所のスーパーに、「父の日」と書かれたのぼりが立つようになってきました。そうか父の日が近いのか、で、いつだっけ?

 

恥ずかしながら僕は、父の日とか母の日、敬老の日といった記念日に何かをしたことがありません。子供ながらに、いつもありがとう、の一言がこっぱずかしくて言えなかったのです。小学校ではこれらの日が近づくたびに、贈り物や感謝の手紙を書きましょうとなり、書きたくもない手紙や似顔絵を書かされて、それはもう地獄の時間・・・結局当日に持って帰ったらこっそり捨てていました。

ただ、その時書いた祖父へ宛てた手紙は何故か捨てられず、かといって渡せず、ずっと学習机の奥にしまっていたのですが、祖父が亡くなった際に棺の中にこっそり忍ばせたのを思い出します。話が脱線。

月日が経って、精神的にも少し成長したころには親元を離れて進学、就職したため、直接顔を合わせて言う機会もなく、かといってメールや電話で言うほどでもないと思ってしまい(これが良くないのか?)、今に至るという具合です。

そもそもお祝い事やイベントの少ない家庭だったのと、父自身が寡黙な職人タイプだったので、少年時代の僕と父とはドライな関係だったように思います。

ところで父子関係で思い出すのが、故・内田裕也さんとその娘・内田也哉子さん。裕也さんと妻・樹木希林さんは、也哉子さんが幼い時には既に別居、一緒に時間を過ごしたことがほとんどなかったそう。裕也さんが亡くなってからも「私の心は涙でにじむことさえ戸惑っていました」と語っていました。

そんな也哉子さんですが、裕也さんのお別れの会での謝辞で、そんな不思議な父を今では受け入れていると語り、最後はこの言葉で締めくくりました。

 

「Fuckin' Yuya Uchida, Don't rest in peace just Rock'n Roll!」

 

僕自身、内田裕也さんがどのような人物だったのか、知っているわけではありませんでしたが、この言葉に、ご本人の人柄が溢れているように思えてなりません。

 

さて、僕の父は破天荒な人物ではなく、どちらかと言うとその真逆を行くような人間ですが、そんな父にはいつまでも父らしく、元気でいてほしいです。今年の父の日は、謝の気持ちを伝えたい、しかしまあ世の中がこんな情勢で、帰省して顔を見せるのも難しい状況なので、何か贈ろうと画策しています。もちろん、木工一家に宛てた木工品を考えています。

 

僕が言葉を贈るとしたら、ただひたすらに、Just peace! ですね!

 

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いくつになっても遠足前夜は眠れない

 先々週に引き続き、富山湾へサビキ釣り。

 天気は悪くありませんでしたが、回遊が無かったのか僕が下手くそなだけなのか、早々に初めて見る魚が少しばかり釣れただけで後はからっきしでした。残念!

 それでもまた新しい魚を釣ることが出来たのは嬉しかったので、Googleレンズの力を借りてウキウキで調べてみました。すると結果はスズメダイと分かりました。なになに、10cm程度のタイの仲間で、大物狙いの釣り師の間では「ハズレ」「外道」とされる・・・何だって!?

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スズメダイ。ハズレ扱いされるかわいそうなやつ。

 しかし、食べてみると脂がのっていて非常に美味であるとのこと。煮つけや唐揚げもいいし、福岡県の郷土料理「あぶってかも」にするのもおススメとのこと。あぶってかもは、スズメダイの鱗も内臓も取らずに、強めに塩をまぶして干して、カリッと焼き上げる料理法らしいです。今回はこれに挑戦。現在冷蔵庫で熟成中なので、明日焼くのが楽しみです。

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鱗越しにも塩を染み込ませるため、がっつりまぶします。

 ところで今回は4時起きだったのですが、昨晩は釣りを楽しみに思うあまりか、ほとんど眠れませんでした。まるで遠足前夜に中々寝付けないように。睡眠不足になるとおなかの調子が悪くなるなど、体調にダイレクトに影響を及ぼすので本当に良くない。

 しかも、楽しみを控えた前夜に眠れないという現象が、歳を取るにつれて顕著に表れるようになってきた気がします。例えば趣味の登山前夜でさえ割と良く眠れていたのに、ここ2、3年は気持ちが高ぶって覚醒してしまう傾向にあります。

 眠れずに布団の中でうごめく時間は、地獄。ようやく眠れたかと思うと1時間も経たずして目が覚める始末。スイッチを切ったかのように、一瞬で眠れたらいいのにと思います。やけ食いして血糖値スパイクで眠ろうかとさえ思いますが、これは命にかかわってくるので止めますさすがに。

 それでも確かに、日々高揚感を覚えながら過ごせているのだと思えば、自分のクオリティ・オブ・ライフは向上しつつあるのかと考えることもできますかね。いくつになっても、楽しみでたまらない遠足を持ち続けたいと思います。

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工房にキュウリを植えました。支柱に製材の耳を使うあたりが木工房的野菜栽培。

 

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釣りや狩猟を「ゲーム」と捉えることへの違和感

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今日は休日だったので、富山湾で海釣りデビューしてきました。

飛騨高山から下道で2時間。意外と近い日本海。釣果はアジ(たぶん)2匹。最近は川釣りの釣果がさっぱりだったので、嬉しい結果!

持ち帰って、なめろうにして美味しくいただきました(薬味を入れすぎて、アジの味が薄まってしまいましたが・・・)。

さて、これに関連して最近思うことを一つ。釣りにしろ狩猟にしろ、これをゲームと呼ぶのはやめろと言いたいのです。

僕が釣りをする理由は食べるためですし、狩猟免許を取りたいのは鳥獣害を減らしたい、ジビエ肉として食べたいからです。

もちろんこのような考えで釣りや狩猟をされている方が大多数だと思います(だと思いたい)が、教本やYou Tubeを覗くと、野生動物とのやり取りをどうやらゲームとして捉えて楽しむという考え方があるようで。これには賛同しかねます。

例えば、僕が渓流釣りを始めた頃はYou Tubeの解説動画にはお世話になりました。便利な世の中になったものです。しかし、渓流釣りのベテランのような人が、食べるためではなく「遊び」として釣りをしていることにがっかりしました。釣れた渓流魚に対して「かわいいね!ありがとう、バイバイ!」と言ってリリースする姿には嫌悪感を覚えます。

釣り針にかけている以上、魚は傷を負います。渓流魚へのダメージを軽減する、バーブレスフック(返しの付いていない針)というものも存在するようですが、一般的ではありません。針の傷が魚の寿命にどれだけ影響するかは定かではありませんが、傷を負わせているという意識があるのなら、こんな人間のエゴ丸出しの態度を公に出すことはとてもじゃないができないはずです。

今勉強している狩猟の教本にも、ゲームとしての狩猟、レクリエーションとしての狩猟と言う文言が冒頭から出てきていて違和感を覚えています。

確かに釣りにも狩猟にも、知恵を絞って獲物を仕留めるという点において、面白みがあることは確かです。今日の釣りでも、時間帯、獲物の大きさに合わせて仕掛けの位置や種類を変えていった上で釣れたので、達成感はひとしおでした。

しかし、それをゲームと言ったらおしまいでしょう・・・と僕は思うのです。分かる、分かるんですよ。でも、他の生命を消費して行う行動に対して、それを言ってしまうと、人として、倫理的に越えてはならない一線を越えてしまうような気がしてならないのです。

先頭にあるべきは、生命への尊厳ではないでしょうか。

 

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なめろう。大学時代、ワンゲルの同級生が作ってくれたのを思い出します。

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行きつく場所

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福島県石川町 野木沢地区にある「芭蕉苑」

 昔見た、アニメ「クレヨンしんちゃん」のこんなエピソードを覚えています。

 しんのすけとひろしは、街にオープンしたばかりのラーメン店に行きます。そこは行列の絶えない名店で、その日も長時間並ぶことになりました。

 やっとのことで店内に入るも、狭い店内にも待ち客がぎっしり。ようやく椅子に座れたかと思うと、メニューは一杯1,000円の塩ラーメンのみ。頑固おやじ一人で切り盛りするその店はマナーにやたらと厳しく、少しでも話し声をたてるとものすごい剣幕で叱りつけてきます。ひろしは、入って失敗だったと思い始めます。

 そして長時間待たされて疲れたしんのすけはまだかまだかと駄々をこね、案の定店主に注意を受けます。これをチャンスと思ったひろしは、こんな店こっちから出て行ってやると言ってしんのすけを連れて店を後にします。

 しんのすけに申し訳ないことをしたと反省するひろしでしたが、帰り道で昔ながらの町中華の店を見つけます。ここでもいいかと問うひろしと、いいよと答えるしんのすけ。家庭味溢れるそのお店で、1杯480円のシンプルな醤油ラーメンを食べ、2人は笑顔で岐路についたというお話。

 

 そして、また別の作品のお話。深谷かほるさんの「夜廻り猫」のとあるエピソードで、主人公の野良猫「遠藤平蔵」は、上京してきたばかりの若者に対し、見知らぬ土地でも①落ち着く場所 ②落ち着く人 ③落ち着く食べ物 の3つのうち2つを見つければやっていけると語ります。そして若者は遠藤に、米と卵しかないけど良ければどうぞと家に招くシーンでエピソードは終わります。

 

 自分も、遠く福島から見知らぬ地、飛騨高山へ来た身で、初めはどうしようもなく不安でした。今までも同じで、高校を出て岩手へ、岩手から長野へ、長野から飛騨高山へと、見知らぬ土地へ赴くことは常に不安が付きまとい、孤独になりがちです。

 そんな時、やっぱりこれだなと言える食べ物、やっぱりここだなと思える場所を見つけられれば、間違いなく心の支えになります。

 新社会人、新入生の皆さん、新生活には慣れましたか?五月病になっていませんか?行きつく場所、落ち着く場所を見つけましょう。そして、美味しいものを食べましょう。自分自身のメンテナンスが大切ですよ。

 

 最後に僕の行きつく場所、落ち着く場所のひとつをご紹介。

 地元、福島県石川町の野木沢地区にある蕎麦屋さん「芭蕉苑」。基本的に大盛りかつ10割蕎麦、なのにめちゃくちゃ安いという知る人ぞ知る名店。福島にいる方、今度行きましょう。

 

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10割天蕎麦大盛り。これで850円とかだった気がする。

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