もののaware

飛騨にありて福島を思う

釣りや狩猟を「ゲーム」と捉えることへの違和感

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今日は休日だったので、富山湾で海釣りデビューしてきました。

飛騨高山から下道で2時間。意外と近い日本海。釣果はアジ(たぶん)2匹。最近は川釣りの釣果がさっぱりだったので、嬉しい結果!

持ち帰って、なめろうにして美味しくいただきました(薬味を入れすぎて、アジの味が薄まってしまいましたが・・・)。

さて、これに関連して最近思うことを一つ。釣りにしろ狩猟にしろ、これをゲームと呼ぶのはやめろと言いたいのです。

僕が釣りをする理由は食べるためですし、狩猟免許を取りたいのは鳥獣害を減らしたい、ジビエ肉として食べたいからです。

もちろんこのような考えで釣りや狩猟をされている方が大多数だと思います(だと思いたい)が、教本やYou Tubeを覗くと、野生動物とのやり取りをどうやらゲームとして捉えて楽しむという考え方があるようで。これには賛同しかねます。

例えば、僕が渓流釣りを始めた頃はYou Tubeの解説動画にはお世話になりました。便利な世の中になったものです。しかし、渓流釣りのベテランのような人が、食べるためではなく「遊び」として釣りをしていることにがっかりしました。釣れた渓流魚に対して「かわいいね!ありがとう、バイバイ!」と言ってリリースする姿には嫌悪感を覚えます。

釣り針にかけている以上、魚は傷を負います。渓流魚へのダメージを軽減する、バーブレスフック(返しの付いていない針)というものも存在するようですが、一般的ではありません。針の傷が魚の寿命にどれだけ影響するかは定かではありませんが、傷を負わせているという意識があるのなら、こんな人間のエゴ丸出しの態度を公に出すことはとてもじゃないができないはずです。

今勉強している狩猟の教本にも、ゲームとしての狩猟、レクリエーションとしての狩猟と言う文言が冒頭から出てきていて違和感を覚えています。

確かに釣りにも狩猟にも、知恵を絞って獲物を仕留めるという点において、面白みがあることは確かです。今日の釣りでも、時間帯、獲物の大きさに合わせて仕掛けの位置や種類を変えていった上で釣れたので、達成感はひとしおでした。

しかし、それをゲームと言ったらおしまいでしょう・・・と僕は思うのです。分かる、分かるんですよ。でも、他の生命を消費して行う行動に対して、それを言ってしまうと、人として、倫理的に越えてはならない一線を越えてしまうような気がしてならないのです。

先頭にあるべきは、生命への尊厳ではないでしょうか。

 

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なめろう。大学時代、ワンゲルの同級生が作ってくれたのを思い出します。

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