もののaware

飛騨にありて福島を思う

Just Rock'n Roll!

近所のスーパーに、「父の日」と書かれたのぼりが立つようになってきました。そうか父の日が近いのか、で、いつだっけ?

 

恥ずかしながら僕は、父の日とか母の日、敬老の日といった記念日に何かをしたことがありません。子供ながらに、いつもありがとう、の一言がこっぱずかしくて言えなかったのです。小学校ではこれらの日が近づくたびに、贈り物や感謝の手紙を書きましょうとなり、書きたくもない手紙や似顔絵を書かされて、それはもう地獄の時間・・・結局当日に持って帰ったらこっそり捨てていました。

ただ、その時書いた祖父へ宛てた手紙は何故か捨てられず、かといって渡せず、ずっと学習机の奥にしまっていたのですが、祖父が亡くなった際に棺の中にこっそり忍ばせたのを思い出します。話が脱線。

月日が経って、精神的にも少し成長したころには親元を離れて進学、就職したため、直接顔を合わせて言う機会もなく、かといってメールや電話で言うほどでもないと思ってしまい(これが良くないのか?)、今に至るという具合です。

そもそもお祝い事やイベントの少ない家庭だったのと、父自身が寡黙な職人タイプだったので、少年時代の僕と父とはドライな関係だったように思います。

ところで父子関係で思い出すのが、故・内田裕也さんとその娘・内田也哉子さん。裕也さんと妻・樹木希林さんは、也哉子さんが幼い時には既に別居、一緒に時間を過ごしたことがほとんどなかったそう。裕也さんが亡くなってからも「私の心は涙でにじむことさえ戸惑っていました」と語っていました。

そんな也哉子さんですが、裕也さんのお別れの会での謝辞で、そんな不思議な父を今では受け入れていると語り、最後はこの言葉で締めくくりました。

 

「Fuckin' Yuya Uchida, Don't rest in peace just Rock'n Roll!」

 

僕自身、内田裕也さんがどのような人物だったのか、知っているわけではありませんでしたが、この言葉に、ご本人の人柄が溢れているように思えてなりません。

 

さて、僕の父は破天荒な人物ではなく、どちらかと言うとその真逆を行くような人間ですが、そんな父にはいつまでも父らしく、元気でいてほしいです。今年の父の日は、謝の気持ちを伝えたい、しかしまあ世の中がこんな情勢で、帰省して顔を見せるのも難しい状況なので、何か贈ろうと画策しています。もちろん、木工一家に宛てた木工品を考えています。

 

僕が言葉を贈るとしたら、ただひたすらに、Just peace! ですね!

 

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いくつになっても遠足前夜は眠れない

 先々週に引き続き、富山湾へサビキ釣り。

 天気は悪くありませんでしたが、回遊が無かったのか僕が下手くそなだけなのか、早々に初めて見る魚が少しばかり釣れただけで後はからっきしでした。残念!

 それでもまた新しい魚を釣ることが出来たのは嬉しかったので、Googleレンズの力を借りてウキウキで調べてみました。すると結果はスズメダイと分かりました。なになに、10cm程度のタイの仲間で、大物狙いの釣り師の間では「ハズレ」「外道」とされる・・・何だって!?

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スズメダイ。ハズレ扱いされるかわいそうなやつ。

 しかし、食べてみると脂がのっていて非常に美味であるとのこと。煮つけや唐揚げもいいし、福岡県の郷土料理「あぶってかも」にするのもおススメとのこと。あぶってかもは、スズメダイの鱗も内臓も取らずに、強めに塩をまぶして干して、カリッと焼き上げる料理法らしいです。今回はこれに挑戦。現在冷蔵庫で熟成中なので、明日焼くのが楽しみです。

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鱗越しにも塩を染み込ませるため、がっつりまぶします。

 ところで今回は4時起きだったのですが、昨晩は釣りを楽しみに思うあまりか、ほとんど眠れませんでした。まるで遠足前夜に中々寝付けないように。睡眠不足になるとおなかの調子が悪くなるなど、体調にダイレクトに影響を及ぼすので本当に良くない。

 しかも、楽しみを控えた前夜に眠れないという現象が、歳を取るにつれて顕著に表れるようになってきた気がします。例えば趣味の登山前夜でさえ割と良く眠れていたのに、ここ2、3年は気持ちが高ぶって覚醒してしまう傾向にあります。

 眠れずに布団の中でうごめく時間は、地獄。ようやく眠れたかと思うと1時間も経たずして目が覚める始末。スイッチを切ったかのように、一瞬で眠れたらいいのにと思います。やけ食いして血糖値スパイクで眠ろうかとさえ思いますが、これは命にかかわってくるので止めますさすがに。

 それでも確かに、日々高揚感を覚えながら過ごせているのだと思えば、自分のクオリティ・オブ・ライフは向上しつつあるのかと考えることもできますかね。いくつになっても、楽しみでたまらない遠足を持ち続けたいと思います。

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工房にキュウリを植えました。支柱に製材の耳を使うあたりが木工房的野菜栽培。

 

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釣りや狩猟を「ゲーム」と捉えることへの違和感

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今日は休日だったので、富山湾で海釣りデビューしてきました。

飛騨高山から下道で2時間。意外と近い日本海。釣果はアジ(たぶん)2匹。最近は川釣りの釣果がさっぱりだったので、嬉しい結果!

持ち帰って、なめろうにして美味しくいただきました(薬味を入れすぎて、アジの味が薄まってしまいましたが・・・)。

さて、これに関連して最近思うことを一つ。釣りにしろ狩猟にしろ、これをゲームと呼ぶのはやめろと言いたいのです。

僕が釣りをする理由は食べるためですし、狩猟免許を取りたいのは鳥獣害を減らしたい、ジビエ肉として食べたいからです。

もちろんこのような考えで釣りや狩猟をされている方が大多数だと思います(だと思いたい)が、教本やYou Tubeを覗くと、野生動物とのやり取りをどうやらゲームとして捉えて楽しむという考え方があるようで。これには賛同しかねます。

例えば、僕が渓流釣りを始めた頃はYou Tubeの解説動画にはお世話になりました。便利な世の中になったものです。しかし、渓流釣りのベテランのような人が、食べるためではなく「遊び」として釣りをしていることにがっかりしました。釣れた渓流魚に対して「かわいいね!ありがとう、バイバイ!」と言ってリリースする姿には嫌悪感を覚えます。

釣り針にかけている以上、魚は傷を負います。渓流魚へのダメージを軽減する、バーブレスフック(返しの付いていない針)というものも存在するようですが、一般的ではありません。針の傷が魚の寿命にどれだけ影響するかは定かではありませんが、傷を負わせているという意識があるのなら、こんな人間のエゴ丸出しの態度を公に出すことはとてもじゃないができないはずです。

今勉強している狩猟の教本にも、ゲームとしての狩猟、レクリエーションとしての狩猟と言う文言が冒頭から出てきていて違和感を覚えています。

確かに釣りにも狩猟にも、知恵を絞って獲物を仕留めるという点において、面白みがあることは確かです。今日の釣りでも、時間帯、獲物の大きさに合わせて仕掛けの位置や種類を変えていった上で釣れたので、達成感はひとしおでした。

しかし、それをゲームと言ったらおしまいでしょう・・・と僕は思うのです。分かる、分かるんですよ。でも、他の生命を消費して行う行動に対して、それを言ってしまうと、人として、倫理的に越えてはならない一線を越えてしまうような気がしてならないのです。

先頭にあるべきは、生命への尊厳ではないでしょうか。

 

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なめろう。大学時代、ワンゲルの同級生が作ってくれたのを思い出します。

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行きつく場所

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福島県石川町 野木沢地区にある「芭蕉苑」

 昔見た、アニメ「クレヨンしんちゃん」のこんなエピソードを覚えています。

 しんのすけとひろしは、街にオープンしたばかりのラーメン店に行きます。そこは行列の絶えない名店で、その日も長時間並ぶことになりました。

 やっとのことで店内に入るも、狭い店内にも待ち客がぎっしり。ようやく椅子に座れたかと思うと、メニューは一杯1,000円の塩ラーメンのみ。頑固おやじ一人で切り盛りするその店はマナーにやたらと厳しく、少しでも話し声をたてるとものすごい剣幕で叱りつけてきます。ひろしは、入って失敗だったと思い始めます。

 そして長時間待たされて疲れたしんのすけはまだかまだかと駄々をこね、案の定店主に注意を受けます。これをチャンスと思ったひろしは、こんな店こっちから出て行ってやると言ってしんのすけを連れて店を後にします。

 しんのすけに申し訳ないことをしたと反省するひろしでしたが、帰り道で昔ながらの町中華の店を見つけます。ここでもいいかと問うひろしと、いいよと答えるしんのすけ。家庭味溢れるそのお店で、1杯480円のシンプルな醤油ラーメンを食べ、2人は笑顔で岐路についたというお話。

 

 そして、また別の作品のお話。深谷かほるさんの「夜廻り猫」のとあるエピソードで、主人公の野良猫「遠藤平蔵」は、上京してきたばかりの若者に対し、見知らぬ土地でも①落ち着く場所 ②落ち着く人 ③落ち着く食べ物 の3つのうち2つを見つければやっていけると語ります。そして若者は遠藤に、米と卵しかないけど良ければどうぞと家に招くシーンでエピソードは終わります。

 

 自分も、遠く福島から見知らぬ地、飛騨高山へ来た身で、初めはどうしようもなく不安でした。今までも同じで、高校を出て岩手へ、岩手から長野へ、長野から飛騨高山へと、見知らぬ土地へ赴くことは常に不安が付きまとい、孤独になりがちです。

 そんな時、やっぱりこれだなと言える食べ物、やっぱりここだなと思える場所を見つけられれば、間違いなく心の支えになります。

 新社会人、新入生の皆さん、新生活には慣れましたか?五月病になっていませんか?行きつく場所、落ち着く場所を見つけましょう。そして、美味しいものを食べましょう。自分自身のメンテナンスが大切ですよ。

 

 最後に僕の行きつく場所、落ち着く場所のひとつをご紹介。

 地元、福島県石川町の野木沢地区にある蕎麦屋さん「芭蕉苑」。基本的に大盛りかつ10割蕎麦、なのにめちゃくちゃ安いという知る人ぞ知る名店。福島にいる方、今度行きましょう。

 

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10割天蕎麦大盛り。これで850円とかだった気がする。

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木のモノづくりと広葉樹資源の行方

 昨年のことではあるが、製品の材料である幅ハギ板(幅の狭い材を何枚か並べて接着して、大きな1枚の板にしたもの)の中身が変わってきたと感じた。今までは3枚ハギから4枚ハギだったものが、4枚ハギから5枚ハギ、果ては6枚ハギまで登場してきたのだ。加えて材の見た目もかなり悪い。まあ天然木とはそういうものだけど。

 話によると、良質で幅の広い材が手に入りにくくなってきたとか。なんと。針葉樹資源は(山には)吐いて捨てるほどあるのに、広葉樹資源はピンチなのか?木のモノづくりに携わる者として、そして林業の世界に携わってきた者として、広葉樹資源の行方は気になるところだ。

 日本の森林に関するデータは、針葉樹に関しては豊富にあるものの、広葉樹資源に関するデータは乏しいのが現実だ。まあ家具やクラフトづくりが広葉樹資源の消滅の危機を左右するほどの消費量を生み出すかどうかは疑問ではあるけれど、確かに長い目で見れば広葉樹資源は手に入りにくくなるのではないか。

 例えば、国有林からは大径の広葉樹はあまり出てこなくなってきている。丸太の生産コスト低減を目指す方針の中、生産条件の良い地形に大径の広葉樹など生えてはいない。それもそのはず、生産条件の良い場所は収穫することを想定して植えられた「作物」なのだから比較的収穫しやすい場所に植えられている(必ずしもこの限りではないが)。そして植えられた木のほとんどは、戦後の国策「拡大造林」によって植えられたスギ、ヒノキ等の針葉樹である。

 一方、広葉樹は殆どが天然林で、人間の営みとは全く関係なく生えている。登山をする方だったら、山岳国立公園内に人の腕では抱えきれない太さの立派な広葉樹が生えているのをよく見かけることだろう。あのような場所の木を狙って伐って運び出すことの難しさは想像に難くない。費用、技術、法律など様々な障壁があるからだ。加えて広葉樹を保護し、針広混交林へ誘導しようというのが林野庁の方針だ。国策は広葉樹の積極的利用と言う段階にはないのである。

 ゆえに広葉樹は資源量的には豊富かもしれないが、生産量的には少ない。世に出回っている国産広葉樹は上記の障壁を潜り抜けた選ばれし者(?)なのである。どちらかと言うと、ヤマ寄りの広葉樹は手に入りにくくなってきた一方で、里寄りの広葉樹によくお目にかかっているというところだろうか。

 ところで、その猛者たちの用途は何かというと、なんと9割以上はチップである…。どのぐらいの太さの広葉樹が毎年どのくらい丸太になっているのか分からないが、例えるなら捕えたマグロの9割以上をツナフレークにしているようなものである。やはり家具・クラフトとしての使用量は少ない。まあ確かに広葉樹は針葉樹と違って、真っ直ぐではないからトロの部位は少ないのは仕方ない。だって育てようと思って育てた木じゃないもんな!

 今後は大トロ級のマグロの流通量は減っていき、ツナ級のマグロが増えていくかもしれない。いや、ツナを出すぐらいなら伐ること自体割に合わないから伐らなくなるのかも。そうなると大トロ級の用材は手に入りにくくなり、必然的に家具・クラフトの価格も上げざるを得なくなる。そうなるとその家具を手に入れられる人はだんだん限られてくる。自分のやるモノづくりってそれでいいのか・・・?

 

 考えすぎではあるが、循環資源でモノを作る以上はその流れを意識せずにはいられない。近年話題になっている「広葉樹林業」なるものも気になるところだ。

 ひとまず自分にできることは、家具を作った端材で小物を作るという、マグロ1匹無駄にせず使い切る段階的利用(専門用語でカスケード利用という)をやっていくことだろうな。

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スツールを贈る


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かねてから製作していたスツールが完成しました。

タイトルは「荷物置き付きハイスツール」。材種はナラ、塗装は現地の雰囲気に合うようブラウントナーをチョイス、座は自然素材の帆布で仕上げました。ネイビーとブラウンの組み合わせが気に入ってます。

構想が始まったのは、2020年の年の瀬。僕の地元福島に、大学の後輩が「self space しおりば」という場所を作りまして、僕がその運営理念に痛く共感したもので、これは是非何が作らせてもらおうということで始まりました。

(self space しおりばについてはこちら→http://selfspace-shioribar.com/

工夫した点は、

・テレワークや勉強等で長く座っても疲れにくい、程よい弾力(主観)の座面

・中断の荷物置

・下段の足置

です。

高さは現地のカウンターの高さ(900mm)に合うよう600mmで設計しました。一人でも多くの方に座っていただけると嬉しいです。納品は5月頃を予定しています。

 

また、撮影は岐阜県高山市の「村半(むらはん)〜高山市若者等活動事務所〜」で行いました。
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ここがまた素敵な場所で、かつて実業家の村田半六が所有していた町家をリノベーションして作られたコミュニティ施設です。

高山市の伝統的建造物群「古い町並み」の中にあって自主学習やテレワーク、イベント等で自由に使えるこの場所、子供から大人まで老若男女問わず沢山の人達が思い思いに利用しています。このブログもここで書いたりしますし、この前は置いてあるAKIRAを読破しました。名作。そして利用は基本的に無料。これで市営。凄いです。

岐阜県高山市のコミュニティスペースから福島県矢吹町のセルフスペースへ。そんな縁も込めたこのスツールからなにか新しいことが始まると嬉しいですね。


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2021年度の抱負的なもの

今日から2021年度が始まりました。みなさんそれぞれ、こんな1年にしたいというビジョンがあることだろうと思います。

僕自身はこの4月から生活スタイルを少し変えてみることにしました。具体的には、生活における木工の比率をすこーし減らし、それ以外の比率を増やすことにしました。思い切って飛び込んだ木工の世界。ほぼ週7日、休みなく木工に没頭したこの1年間で、たくさんの経験が出来ました。諸先輩方から見ればひよっこひよっこですが、モノづくりの世界の共通言語を身に着けることはできたのかなと思っています。間違いなくこれは大きい。木工の世界に来たのは正解でした。

一方で、木工が本格化するほど、木工以外の世界を見る機会が減っていったのも事実。一年前、飛騨高山に来た当初は、木工はもちろんのこと、それ以外にもたくさんのことをしたいと思っていました。畑とか釣りとか狩猟とか。自然と自分との関わりを見つめなおすことが僕自身に課したテーマです。

これからの1年間は精神的・時間的余裕を増やしていきたいと思います。もちろん木工を理想の実現の手段にしていくことは間違いのないことで、その木工という手段を活かす方法を身に着けていきたいです。独りよがりの木工にならないよう、いろんな人に、自分の作ったものを見てもらいたいので、とにかく色々作ってみますので評価をお願いしたいです!

さらに目標として、「30歳までに福島に帰る」と決めました。つまり飛騨高山にいるのは最長であと2年。堂々と錦を飾れるよう、張り切っていきます!ブログ更新もしっかりやっていきますよ~

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