もののaware

飛騨にありて福島を思う

自給力・自救力

あらゆるものの自給率を高めていくことの大切さに、多くの人が気付き始めている。

今の時代、食料、電気、ガス、水道も、ある程度安定的に供給される仕組みになっていて、ほとんどの人がその枠組みの中で生きている。僕もその一人。

もちろんこの枠組みがあるからこそ、生活の質や安全性は向上したし、経済的・体力的に不利な人だってある程度一人で生活していくことができる。

 

一方で僕は、大きな枠組みの危険な側面にも色々な場面で気付かされてきた。その最たる機会が東日本大震災原発事故だ。

日本はエネルギー資源に乏しく、そのほとんどを海外からの輸入に依存している。これは義務教育の教科書にだって載っていることで、誰だって知っている。知ってはいるが、本気で意識する機会は少なかった。日本のエネルギー事情は、常に綱渡り状態だったのだ。これが表面化されたのが、2011年3月11日。

 

外国の資源に依存する状況は、これからも続けざるを得ない状況だ。食料だってそうだろう。現代社会は、地球という一つの共同体として成り立っている。

そう、僕たちの生きる社会は、複雑に絡み合ってしまっているのだ。遠い海の向こうで起きた証券会社の破綻や、一地域で発生したウイルスが、僕たちの生活に直ちに影響を及ぼす社会になっている。

 

僕はそんな社会にあって、大きな枠組みの恩恵を受けつつも、できるところから少しずつ外れていければと思っている。

全てを本気で自給して生きることは簡単なことじゃない。毎日を生きながらえるので精いっぱいになりそうだ。だから少しずつ野菜を育てたり、渓流魚を釣って食べてみたり、山野草を採ってみたり。

そんなことで自給率を高めた気になっているのかと突っ込まれそうだが、今の自分にはこれくらいがちょうどいい。出来ることは徐々に増やしていければいい。自給の精神に気づけたことが、1つ前に進めたという実感になっていて、原動力にもなっている。

 

日本山岳救助機構合同会社(jRO)が、野外活動中に発生したアクシデントに対する対応力のことを「自救力」と呼んでいる。

この言葉を借りて、「自給力=自救力」と捉えることにした。

なにかに依存する割合をなるべく減らし、小さな社会で小さな循環を作る。気力も体力も必要なことだが、いずれ必ず身を助く。小さなことからコツコツと。自給力とは自救力であり、持久力も試されることだろう。

 

 

 

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