もののaware

飛騨にありて福島を思う

優秀な人ほど目立たない

プロスポーツ界においては、優秀な審判員ほど目立たないと言われている。

彼らは一つの試合の中で下す何十回、何百回というジャッジの中で、一つのミスも許されない。正しくジャッジして当たり前という職業だからだ。

今や世界中のプロスポーツをインターネットを介して視聴できる時代。たった1回でも誤審をしようものならば、その姿は瞬く間に世界中へ配信され、「疑惑の判定」とささやかれ続ける。大舞台の試合ならなおさらだ。審判員の方々のプレッシャーや心労は相当なものだろう。円滑な試合進行に感謝である。

 

ところで、優秀な人ほど目立たないというのは、様々な世界に当てはまることだと思う。

というよりも、数少ない失敗ばかり取り沙汰され、あたかもその一面がその人の全体像であるかのように印象付けられてしまうことが多い。

 

例えば公務員の世界。

僕自身の行政経験を踏まえて考えてみると、公務員という仕事も「出来なければ当然叩かれる、でも出来てもそれは当たり前」の世界だった。内部からも外部からも、成果に対して正当な評価がなされにくい世界という印象だ。

一般的に、公務員は楽してそれなりの給料と休みを貰っていると思われがちだが、官公庁の運営が(不十分な部分はあるにしても)崩壊していないのは、各職員の地道な仕事の集まりで成り立っているからだと思う。

(なお、僕自身は公務員の世界について物申したいことがたくさんあるが、ここでは言わないでおく。)

 

結局のところ、何かが目立つということは、僕たち人間が常に刺激を求めているからなのだろう。変化のない世界には誰もが飽きてしまったのだ。だから芸能人のスキャンダルはいつの世もウケがいいし、ワイドショー番組はなくならない。

一方で、出る杭が叩かれる社会である日本において、出ていない杭にスポットライトが当たることはあまりない。

 

目立たなければいいということではない。変化を恐れ、他人の顔色をうかがう人間で満たされた社会が健全だとは思わない。

それでも、真面目で勤勉、コツコツ積み重ねる日本人像は確かに存在する。それは非常に素敵で誇るべきものだと思うし、そういう人間が集まって社会は成り立っている。そして、そんな人間がもっと正当な評価を受ける世界であって欲しい。

 

最後に、手塚治虫の漫画「ブラック・ジャック」に「六等星」という話を紹介しよう。ブラック・ジャックが出会ったとある優秀な医師は、病院内では全く目立たない存在で、本人にも出世欲は無く、誰からも認められていない存在だった。しかし、とある事件をきっかけに、この医師は評価されることになった。

六等星とは、肉眼で確認できる中で最も暗い星。しかし、その星は自分たちから遠く離れたところにいるだけで、実際はもっととてつもなく大きな星かもしれないとブラック・ジャックは言った。

 

僕たちの周りには、六等星が溢れている。一等星の存在は、六等星、いやそれ未満の無数の星があるからこそ。

光らぬ星に、光を。