もののaware

飛騨にありて福島を思う

真珠を売る高島屋

家にテレビがないので、テレビCMを見る機会がほとんどない。だからたまに実家に帰った時にテレビを見ると、今はこういうCMやってるんだ~と、大げさだがタイムスリップしたような気分になる。

時代が進むにつれて、CMは淘汰されていく。かつて福島県民にはおなじみであった「Printing(カンペチラ見)、Message」の星総合印刷や、「うちのは、東北レジャーの通信カラオケ!」の東北レジャーなど、もう一度見たいCMがたくさんある(もしかしてまだ放送されてる?)

そんな中、この前ふと引っかかったCMが、高島屋のテレビショッピングである。 特段思い入れがあるわけではない。昔から全国区でしょっちゅう流していただろうCMだ。紹介していたのは真珠のネックレス。強調するのはサイズの大きさと値段。数十秒の特に変わったところはないCMだが、違和感を覚えた。

その違和感の正体は、豊かさの指標のズレである。今や消費の指標は、所有に価値を見出す「モノ消費」から、体験に価値を見出す「コト」へ、さらには誰かと一緒に何かを生み出す瞬間に価値を見出す「トキ消費」へと変化している。全国各地で自発的参加型のアクティビティやイベントが増え、このコロナ禍でオンライン化も進み、誰かと一緒に何かをするということが一気に簡単になった。僕も最近は出歩けないかわりにオンラインでセミナーや講演会などを覗かせてもらっている。

そんな価値観が広まる中、高島屋のCMのキーワードは「大きさ」「高級」「お値打ち価格」。悪い意味で一昔前のCMだなと思わざるを得ない。せめて、真珠の産地とか、背景とかストーリーに触れてみてはどうかと思う(そもそも僕のようなタイプの人間ははなから相手にしていなさそうではあるが・・・)。

かつて豊かさの象徴的存在だった老舗百貨店の閉店が相次ぐ中、重鎮たる高島屋がこれからどんな価値観を見せて生き残っていくのか。IDC大塚家具の例を見ると、高級路線は高級路線のままいくしかないとは思う。ただ、高級路線を支持していた世代は嫌でもいなくなっていく。僕のような世代の心をキャッチする手を打つのかどうか、気にしておきたい。

一つ言えることは、現代人にとっては、きらびやかな宝石自体よりも、宝石があることで生活の何が変わるのか、何かわくわくするようなことが起きるのかが大切だということだ。繰り返すがモノよりコト、ひいては「人」である。今から40年以上前、モノの豊かさ全盛期だった頃ですらそれに気づいていた歌があった。どんなダイヤや真珠より輝くものがそこにはあった。