もののaware

飛騨にありて福島を思う

安定したい自然と、不安定たらしめる人間

長引く梅雨と土砂災害。被害に遭われた方へお見舞い申し上げます。

 

以前お会いした造園の先生の言葉を思い出します。

「土砂崩れは、自然が自らの不安定さを解消しようとする現象。崩れることで安定した状態になる。」

土砂崩れは自然現象の一つにしかすぎず、そこに人間の暮らしが存在して初めて土砂「災害」になります。雪山の奥地で雪崩が起きても誰も気に留めないのと同じで、人間の暮らしの及ばない山奥で斜面が崩れても、僕たちの生活に影響が無ければ災害にはなりません。

問題になるのは、自然の安定した状態を、人為的に不安定たらしめている場合。一度人の手が入った場所を維持管理していく方法は2つ。これからも人の手を介入させ続け不安定さを解消するか、土砂崩れという自然の自浄作用に任せるか。

土砂災害が起きたときは、なぜその場所が不安定になっていたのかを検証することになります。無秩序な開発やずさんな造成が無かったか。近所の山や川をそういう目で見てみるのもいいかもしれません。

人の手が入るといえば、日本の森林面積の4割を占める人工林についても同じことが言えます。人工林とは木材を収穫するために作られた、いわば木の「畑」。誰だって野菜を育てるためには、草むしりしたり脇芽を欠いたり、虫や病気に気を付けたりします。苗を植えてからほったらかしにする人はほとんどいません(ほったらかし農法という言葉もあったりするけど・・・)。

木の畑も同様に、ほったらかしにしては良質な木材は得られません。それどころか、野菜畑であれば放っておいても枯れるだけで済むが、木の畑はそれだけでは済みません。

山奥から人家の近くまで、あらゆる場所に張り巡らされたスギ・ヒノキ等の人工林は、土を緊縛して土砂災害を未然に防止したり、川へ流れ込む水の量を調節する機能を持っています。こういった機能は、適切な「畑作業」があってこそ発揮されるものであって、人工林においてほったらかし農法をしてしまうと、それこそ土砂災害や洪水の元になりかねません。人工林は、もともと自然にとっては「不自然」なものであり、ではその不安定さを解消するためにはやはり人の手を入れ続けて管理するか、自然の自浄作用に任せるかしかないのです。

人の手では自然を支配しきれませんが、一度人の手を入れた場所は責任をもって人の手を入れ続けなくてはならないという事実。それとも、手入れを諦めて自然のあるがままに任せるか。里にも山にも、これ以上「耕作放棄地」を作りたくはありませんね。