もののaware

飛騨にありて福島を思う

サラダボウルではなく、るつぼ

今の職場(行政)は、完全週休2日制。一般的にみれば、だれもが羨む好待遇だろう。

有休を取りやすい環境だったこともあって、僕も初めのうちは大いに利用し、満喫させてもらった。

 

しかし、入って2年目、3年目になり、大きな仕事が任せられるようになるにつれて、だんだんありがたみが薄れてきた。休日になっても、仕事のことが気になって頭から離れないのである。

 

一般的に休日とは、仕事のことを忘れて思いっきりリフレッシュする時間のことを指すだろう。しかし、自分には、仕事とプライベートをはっきりと分けることは出来なかった。

 

金曜の夜が唯一気が休まる瞬間で、日曜日はもちろん土曜日でさえ、仕事のやり残しが気になって、月曜に何をやるかを整理してばかりいた。そのため、趣味に没頭することもあまり出来なかった。

そんなの気の持ちようだと言われることもあった。でも、自分は生まれつきそういう人間なのだ。今更この性格を変えることはできないだろう。というか、今では変える必要もないと思っている。

 

どうせプライベートの時間も仕事のことを考えてしまうのならば、ずっと考えていても飽きないことを仕事にするのが向いていると気づいたのだ。

 

かつて多民族国家であるアメリカは「人種のるつぼ」と呼ばれていた。しかし、実際は全員が溶け合って一つの存在になっているのではなく、一人一人が個性を尊重し合い活躍していることから、「人種のサラダボウル」と呼ばれるようになった。

 

しかし、自分の中で仕事と趣味は、「サラダボウル」のように独立共存していると言うよりむしろ、「るつぼ」のように混じり合っているのだろう。そしてそれが生き甲斐を形成している。

 

よく、仕事と趣味は分けろと言うが、仕事と趣味が入り混じった生き方が向いている人だっている。4月からは、今の生活より休日は確実に減るだろう。収入も減る(というかしばらくゼロになる)。それでも、職人を目指して生きることで、自分の人生の満足度は上がると予想している。

 

カネは、何かを手に入れるための手段でしかない。たとえカネがなくても、欲しかったものさえ手に入ればいい。時間もそうだ。僕は時間が欲しいんじゃなく、時間を消費して何かを手に入れたいだけだ。

 

自分が欲しいものとは何かを考えたとき、それは労働をお金に変換するプロセスを経なくても手に入るものが多いなと気づいた。むしろ、お金じゃ手に入らないモノも多い。

 

経済的に、物質的に満たされても、心まで満たされるとは限らない。僕は、循環資源である木を使って、社会に何かをもたらしたい。

 

人生を精神的に豊かにしようというのが、僕の働き方改革であり、生き方改革だ。