もののaware

飛騨にありて福島を思う

コールドスリープできない

手塚治虫の漫画「ブラック・ジャック」に、不治の病を治すために、治療法が見つかるまでコールドスリープする話がある。

現代の医療で治せなくても、未来になら治療法があるかもしれない。ブラック・ジャックは、不治の病に侵されたカップルにコールドスリープを提案し、二人は幸せに暮らせる日を夢見て一緒に眠りにつくという話だ。

 

さて、現代のコールドスリープは感動の物語とはいかないようだ。


日本では現在、9基の原発が稼働している。そしてそこからは、使用済み核燃料がドンドン生まれている。

コンパクトな燃料からなんの代償もなしに莫大なエネルギーを取り出せるなんて、そんな虫のいい話はないのだ。

 

そしてこの使用済み核燃料は、青森県六ケ所村で建設中の再処理工場で、一部を再利用して新しい燃料に加工する予定で、その過程では、どうしても再利用できない「高レベル放射性廃棄物」が生まれる。

 

この「高レベル放射性廃棄物」は、安定する形態に加工され、いずれは「青森県外」の地中深くに埋められることになっている。これを「地層処分」という。

 

しかし、自ら進んで地層処分地に手を挙げる自治体なんてあるのだろうか。

結局どこも手を挙げず、もう六ケ所村にそのまま埋めろとなってしまわないだろうか。もしくは国主導で埋設箇所を指定するか。

 

六ケ所村のこの件は、他人事とは思えない。福島県の除染で生まれた大量の土壌や廃棄物は、福島県内で中間貯蔵されたあと、「福島県外」で最終処分することが法律で明記されている。

→改正日本環境安全事業株式会社法

 

これ、ちゃんと守ってくれるんだろうか。日本国民の原発放射性廃棄物への理解は進んでいるとは言い難い。そんな現状で、最終処分受け入れについて冷静な議論ができるのだろうか。うちはダメ、うちはダメで、受け入れ先が一向に決まらず、結局福島で最終処分になる未来が、残念ながら予想できてしまう。

 

みんな野菜や肉の産地は気にするのに、電力がどこでどうやって作られているのかには無頓着だ。本当に「原発は自分には関係ない」と胸を張って言える人なんているのだろうか。

 

稼働を続けるにしろ、廃炉にするにしろ、放射性廃棄物は発生する。そして、国土が有限である以上、どこかの土地が最終処分という任務を追わなくてはならない。

 

ちなみに冒頭の話のタイトルは「未来への贈り物」。このまま行くと、僕たちが未来に贈るものとは何になるか。

この問題は、コールドスリープで先送りはできない。