もののaware

飛騨にありて福島を思う

四季あっての日本

伊藤園お~いお茶・俳句大賞が好きだ。お~いお茶のラベルにあるアレである。

 

心に浮かんだ景色や素直な思いを自由に表現するのがコンセプト。ちなみに季語はなくてもいい。平成とともに始まって、今年で第31回を迎える。

 

最近一番感動した句が、「水筒を垂直にして飲んだ夏」だ。

カンカン照りの中、よく冷えた水筒の水を、思いっきりがぶがぶと飲み干そうとする姿が目に浮かぶ。詠み手は14歳。中学時代、野球の練習をしていた自分を重ね合わせたとき、心がジーンと熱くなった。いい俳句、短歌の条件に、その句が描く情景が目に浮かぶ、というのがあると聞いて、納得した。

 

ところで、近年は、夏がやたらと暑かったり、春と秋が異様に短かったり、冬なのに雪がほとんど降らなかったりと、四季そのものの存在が危ぶまれている気がする。社会だけでなく、季節まで平準化していくのだろうか。

 

日本の文化は四季とともにあった。俳句とは季節の移ろいに心が動く、そんな瞬間を限られた文字数の中で表現する文化だ。

 

春の桜が散る様子は、美しくもどこか儚く、夏の夕暮れ、風鈴の音とヒグラシの声に切なさを覚える。秋の紅葉に心温まり、冬の静けさの中で春を待つ。四季とともに生きてきた、日本人らしい感性は失わないようにしていきたい。

 

断熱材のない、隙間だらけのこのボロ住まいも、四季の変化をダイレクトに感じられると思えば悪くない・・・かも?