もののaware

飛騨にありて福島を思う

大人になっても原体験

誰しも、自分の価値観や生き方を決定づけるような原体験を持っているだろう。

 

私にとっての原体験は、父の生まれ故郷の山で山菜採りをしてきたことだ。

 

当時、自分にとって山はとても広くて深くて、美しいというよりも怖いものだった。

 

山菜のポイントは、藪の中。道を外れて山の中へ分け入っていく父と母の後ろを、はぐれないよう付いていくので精一杯だった。

まるで、「千と千尋の神隠し」の冒頭のように、自分の娘に目もくれず屋台で食べ物を貪り食う両親と、それに戸惑う千尋のような…

 

それでも自分は自然が大好きだし、これからも関わっていくつもりだ。今でも原体験は生きている。

 

さて、原体験というと子供の頃の出来事というイメージがあるが、自分自身に新しい価値観が植え付けられ、行動を起こすきっかけとなる出来事という意味では、原体験は大人になってからも十分に起こりうる。

 

2年前、南会津の民宿で食べたイワナの塩焼きの美味さに衝撃を受けた。

 

囲炉裏で焼いたそのイワナはふっくらしていて、シンプルな塩の味付けと香ばしさに夢中になって食べた。頭から尻尾まで、骨も全て食べてしまった。

 

あのイワナをもう一度食べたい…その思いはついに「折角だから自分で釣って食べたい!」という思いに昇華した。

 

というわけで、渓流釣りを始めることにした。道具も揃えた。

 

 

当面の夢は、4月から住む岐阜で渓流釣りデビューし、河原で塩焼きにして食べることだ。折角だから北アルプス、黒部で釣りもしてみたい。学生時代にも訪れた思い出の山だ。

 

そして、いずれは福島の渓流で、イワナを釣りたい。想像するだけでワクワクしてくる。

 

渓流釣りの種類はたくさんあるらしいが、自分は「テンカラ」という、竿・糸・毛針のシンプルな構成の釣り方で始める。釣れるまでにはコツがいるらしいが、とにかくシンプルなものが好きなので、頑張りたい。一匹釣れるだけでOK。食べることが目標だ。

 

岐阜県は、深い森と、それに育まれた清流の町というイメージがある。森や木に関わり、渓流釣りを始めるにはうってつけの場所だろう。

 

そう考えると、岐阜と福島と似ているかも。いや、森と水の文化は、昔日本中にあった風景なのだろう。そして釣り人のいる風景も、その文化の構成要素かもしれない。

 

イワナを食べたいという一心で釣る、そんなきっかけでも日本の原風景の一員になれるのは嬉しいことだ。文化継承は、楽しく美味しく元気よく、だ。