自分ごととして捉える
福島県の未来について、肩書を忘れて楽しくディスカッションする「ふくしま学(楽)会」。そこで出会った印象的な人や言葉を紹介するシリーズの第4回。
第1回、2回、3回はこちら↓
今回の言葉は、
「問題を自分ごととして捉える」。
双葉郡の高校に通う高校3年生の発言だ。
彼女は、福島県外だけでなく、福島県内にも原発事故への問題意識に差があることに気が付き、福島が今抱えている問題を他人事と思わず、自分ごととして捉えることが必要だと指摘した。
私は、過去から学び、今起きている社会問題を自分ごととして捉えるための手段こそ、「教養」であると思っている。
教養の条件とは、なにも何ヶ国語も話せたり、難しい四則演算が解けるといったことばかりではない。
南極で溶ける氷のことを自分ごととして捉えられるか。
香港で学生たちが命を賭して民主化を求めているのを他人事と思うか。
世界の遠くで起きている問題が、いつ自分の身の回りで起こるかは誰にも分からない。
さて、2011年3月11日に起きた地震と原発事故を、自分ごととして捉えることができた人はどれだけいるだろうか。
近くで原発事故が発生したら…
自分の周辺で風評被害が発生したら…
予想外の事態に備えるために、過去から学び、日頃から様々な問題を自分ごととして考えることができる人こそ、真に教養のある人だ。
そして、教養のある人ならば、マスクもトイレットペーパーも不必要に買い占めるなんてことはしないだろう。