もののaware

飛騨にありて福島を思う

情報の転売屋

職人を目指す理由の1つに、「情報の転売屋」になりたくないというのがある。

 

大学時代は、林学科で学んだ知識を活かして日本の林業、木材産業を行政面から助ける仕事=公務員になろうと思っていた(いや、正しくは安定した職に就きたいという思いだけが先行していたと思う)。

 

しかし実際に就職してみると、大学で学んだ知識は役に立たないことが多く、実際に林業、木材産業に従事している方々の話の内容についていけないことに気付いた。就職してから3年経ったあたりから、ようやく同じ土俵に立って話ができるようになった。

 

自分が大学で身につけた知識は、全国一般に当てはまるような、基礎の基礎にしか過ぎず、地域それぞれで現場の特性が違う林業の世界にそれを無理やりに当てはめようとしていたのだ。

 

「2つとして同じ現場はない」とは、森林組合の方がおっしゃった言葉。地域の森林を管理し続けてきた皆さんにとっては、当たり前の事だが、自分はそれを理解しきれていなかった。

そのときに、現場のことをもっとよく知る、自分も現場に入って手を動かす必要があると思った。同時に林業という世界の面白さも少しずつ感じるようになった。

 

しかし、転職を考え始めてからも、実際に山の中に入って体を動かしたり、職人になってモノを作ったりというような働き方は考えなかった。どちらかと言うと、そういった世界の最前線で働く人を、制度面から支える行政マンになりたいと思った。いや、なりたいと言うよりも、自分には最前線に行く自信がなかっただけだった。

 

しかし、再び訳のわからない公務員試験の勉強をしているうちに、自分は何をやっているのだろうと疑問に思うようになった。

 

自分には担い手になるだけの資質がないと決めつけて、森林組合の方のような生き方、父のような職人としての生き方から目を背けていないか。

チェーンソーで立木を伐ったり、小刀とヤスリで小物を作ったりもしないで、彼らの世界を支えたいだなんて、おこがましいことではないか。

「○○は素晴らしい文化だ。みんなにそれを知ってもらいたい、支えたい。」と言いつつ、心の中では彼らの生き方を不安定なもの、割に合わないものを思っているんじゃないか。

 

そう感じ始めてから、何の意味があるのか分からない数学的パズルや古文単語の勉強をする暇はなくなった。

 

かわりに、父の職人としての生き方を見つめ直す時間が増えていった。

 

昔の自分は、出来合いの情報や知識を振りかざして、さも知っているような態度を取る勘違い野郎だったのだろう。

 

そんな当時の自分を戒めて、「情報の転売屋」と呼んでいる。

 

実体のない情報を仕入れて、それを自分で噛み砕くこともせず、どこかに流して満足して、それで収入を得ている。

そんな人間に、あなたを支えます!なんて言われたら、何言ってるんだこいつと思われるのが関の山である。

 

最前線で働く人々の日常を知らずして、彼らを支えるとはもう言わない。まずは自分の手足を動かして体験することから始めようと思う。

 

自分が死ぬまでにやりたいことリストには、「チェーンソーで立木を伐倒する」や「狩猟免許をとって自ら捕獲解体する」や「養蜂をやる」とか、新しい世界を知るためのチャレンジがたくさん入っている。

 

死ぬまでになるべく多くの世界を知って、なるべく多くの世界の人達と関わっていきたい。自分が高齢者になって生き方を振り返ったときに、本当に色々やれたなあと思える人生にしたい。