無知の恥
県外に住んでいると、福島出身と言うたびに、
と聞かれることが多い。
自分の実家は風評被害こそはあったものの、自宅を失ったり避難生活をするには至らなかったため、これまでは、
「いや、実家のあたりはそこまで大変じゃなかったんです。ただ沿岸のほうは大変で・・・」
と答えることが多かった。
しかし、いつからかそう答えることがしんどくなってきた。決して質問にうんざりしているわけではない。
こう答えることで、「被害があった側」と「被害が無かった側」を隔てる壁を作ってしまった気分になり、自分は「無かった側」ですよと言っている気分になる。そしてそんな自分が嫌になったからだ。
被害の程度は、単純にある無しに二分することはできない。自分の両親も地域の住民も、程度の差はあれそれぞれに苦労を乗り越えて今に至る。となれば、もっと詳しく丁寧に、福島の今を伝えるのが県外に住む自分の役目だろう。
しかし、そこで初めて、自分が福島の今を説明できるほど、震災と原発のことを理解していないことに気付いた。あれからもう9年になるというのに。
何も知らないくせに、福島の未来を作ろうなどと息巻いていた。この知ったかぶりの自分に対しても、心のどこかで嫌になっていたかもしれない。
それからというもの、自分なりにもう一度、あの日から今まで福島で何が起こってきて、今はどうなっているのかを学び直すようになった。それを知ってから初めて「これからどうするか」の話が出てくるのだろう。
自分が足らないことを知っているのを無知の知と言うならば、今の自分は無知の恥だ。
その恥を忍んで、このブログでも震災と原発について綴っていこうと思う。誤りがあれば、遠慮なく指摘していただきたい。いつの日か「原発どうだったの?」に対してベストな答えが出せるようにしたいと思っている。