もののaware

飛騨にありて福島を思う

多様な生き方に触れるということ

テクノロジーの発達により、今までの常識に当てはまらない生き方、働き方が凄まじい速さ増え続けている。例えば、YouTuberという生き方が現れることを誰が想像できただろうか。

 

今や小学生が将来なりたい仕事ランキングにもYouTuberはランクインするようになった。これに対し、将来が心配だと言う大人がたくさんいるが、そんなことは余計なお世話だ。

 

ためしにランキングの上位を見てみると、男子ならスポーツ選手、警察官、消防士、医者、女子ならパティシエ、看護師、保育士など。不思議なことに、ランキング上位はいつの時代も変わらない。

 

結局は、多くの子供は自分の知り得る職業の中で、直感的に興味のある職業を書いているだけなのだ。YouTuberがランクインするのは、それだけYouTuberが身近な存在になったことの表れでしかない。そもそも本気でなりたいと思って書く子供のほうが少ないだろう。

やがて成長とともにたくさんのことを経験する中で、サラリーマンや公務員、研究者など、現実的な職業へと変化していく。今どきの中高生は、大人たちが思っているよりも自分の将来についてよく考えているのだ。

 

むしろ、相次ぐ自然災害や環境問題、人口減少や地方の衰退といった社会問題に絶えず晒されている現代社会において、中高生の目指す将来像はより安定志向へと向かっている。社会における生き方、働き方は多様化していく一方で、未来を担う世代はその多様性を不安定なものだと感じている。

 

その原因は、中高生になっても多様な生き方・働き方に触れる機会が少ないからだ。

 

例えば、「木工職人」という生き方を今時の中高生に提案したとき、彼らはどう思うだろうか。多くが不安定、食べていけるか不安という印象を抱くのではないだろうか。そして社会も「エッ、こんな時代に職人…?それよりも大企業や公務員に…」という反応をすることだろう。

 

これは仕方のないことで、実際に職人という存在は減少しつつあり、伝統技能はその存続自体が危ぶまれている。時代の変化により大量生産・大量消費へと価値観がシフトし、手間がかかって値段も高い職人技はその価値が下がってしまった。

 

だが、伝統技能と新しいもののコラボレーションで、その価値を再び社会に認めさせた職人はたくさんいる。テクノロジーが発達し、モノの均一化・大量生産化が進むほど、そこから対極の位置にある職人の価値は見直されていくだろう。

 

また、震災を期に、特に若者を中心に、これまでの価値観は変わりつつある。安くて均一で、出どころがよくわからないモノを使うより、もっと身近で個性があり、ストーリーや背景のわかるものを使いたいと思う人が増えてきた。価値観がお金よりも人や社会との関係性にシフトしつつある。

 

私は、建具職人、木工職人という仕事は後世まで誇れる仕事だと思っている。それは、単にモノを作るだけでなく、プラスチックと違って半永久的に循環可能な「木材」という材料を操り、脱炭素社会の実現に向けて取り組む存在であるからだ。それに、木工の技術と何かをかけ合わせる「木工×α」で、新しい価値を探っていくことができる、夢のある仕事だと思っている。

 

こういった職人を取り巻く現状と展望は、若者に伝わっているとは言い難い。しかし、彼らの心の中の「環境問題」「地球温暖化」「森林資源」という言葉と「建具職人」「木工職人」という言葉は、結び付く余地は充分にある。

 

彼らのクレバーさは前述したとおりだ。マイナーと思われている仕事でも、社会問題とかかわる余地があると分かれば、選択肢の中に入ってくる。そのうえでメジャーな未来を選んだっていいだろう。彼らは自分の中で取捨選択し、夢を見つけて自然と進んでいく。

 

大切なのは、地域、日本、地球の未来を真剣に考え、社会問題に対してアクションを起こしたがっている若者たちに、それを実現する手段がたくさんあることを伝えることだ。

世の中には、本当にたくさんのロールモデルが存在する。若いうちの出会いや経験は、視野を広げ、人生の選択肢を増やす。その出会いや経験が早ければ早いほど良い。

 

震災と原発事故から9年が経とうとしている。当時被災した子供たちは、これだけ科学技術が発達した社会であっても、自然の驚異の前には無力であることを知っている。同時に、今までの生き方、働き方がこの先ずっと通用するのかという疑問も持っている。

 

今こそ、社会全体が多様な生き方を認め、彼らに多くのチャレンジを許容していくべきだ。そのためには、我々大人が持つ凝り固まった先入観や価値観を変えていく必要がある。寛容な社会こそが、地域の将来を担う人材を育てていく。