もののaware

飛騨にありて福島を思う

虫供養

今年の夏は雨続きで、屋外へと出る機会が少なかった。夏は山・川・海で焼かれたい僕としては非常に不満の残る夏だった。 本格的な秋を迎える前に、貴重な晴れ間を見つけて外へ出たい。そこで急遽、今日は御嶽山の飛騨側の頂上へ行ってきた。

山小屋のテラスで小料理を作って、雄大な景色を眺めていると、これに勝る娯楽はないとさえ思えてくる。晩夏の登山は涼しく、虫も少ないのでお勧めだ。

虫といえば、山でも家でも職場でも、僕らは不快な虫を避けるために、虫よけスプレーや殺虫剤を使ってしばしば彼らを駆除しにかかる。 例えば僕なんかは、アース製薬のおすだけノーマットスプレーを使っている。一吹きで蚊がいなくなるというアレだ。効き目は抜群で、使ったそばから蚊やコバエが落ちてのたうち回る。効きすぎて人体への影響を考えてしまうくらいである。

このおかげで虫に刺されることのない快適な生活を送ることができているのだが、一寸の虫にも五分の魂、殺生をしていることに変わりはない。カブトムシやクワガタと彼らは何が違うのだろうと、ふと思うこともある。

そんな中見つけたのが、アース製薬が行っている「虫供養」だ。 製品の開発過程と、実用化された製品により駆除される虫を供養するというもので、毎年行われているという。 不快害虫や病害虫と呼ばれる虫への畏敬の念を示す行いであり、素晴らしい行いだと感じた。

また、全国の農村の中には、「虫送り」と呼ばれる害虫の駆除を願った伝統行事が残っているが、福島県の奥会津にある三島町では趣旨の異なった「虫供養」が行われる地域があるという。

(前略) 時代が経るごとに、人から人へ伝えられるごとに、細かな部分は変化したかもしれません。 それでも、三島町の人々はこれらの習わしを絶やさずに守ってきました。 特に、三島町ならではというと、「虫供養」です。 現在は、早戸地区でのみ行われているもので、「虫送り」と対になる行事と言われています。 というのも、「虫送り」が害虫駆除を願って行われるものだとすると、「虫供養」は野良仕事で止むを得ず殺生してしまった虫を供養する行事だから。 「虫送り」は会津のほかの地域にも見られますが、「虫供養」が今も残っているのは早戸地区だけです。 小さな虫にも敬意を持って接する、そんな心が行事を存続させてきたのでしょうか。(後略) 奥会津山文化研究所ウェブサイトより引用

yama-lab.info

相容れない存在に折り合いをつけて生きていくうえで、常に心の片隅に置いておきたい考えであると感じている。

強く儚い者たち

強く儚い者たち

犬も歩けば

最近、僕の高校の友人と大学の友人同士が、ひょんなことから知り合いになることが増えた。僕が知らないうちに共通の友人になっているのである。

 

例えば高校の友達と大学の後輩が、みなかみのアウトドア関係で会ったことがあるとか、高校の後輩と大学の後輩が東京のクライミングジムで知りあっているとか。

 

こういう時に使われる決り文句は、

「世界は狭い」

 

しかし今回の場合、世界は狭いのに加えて各々の行動範囲が広いというのもあると思う。

実は登場人物たちにはある共通点があって、それは皆山岳部やワンダーフォーゲル部に所属したことがあって、アウトドアに親しんでいることだ。

極端な話、屋外というフィールドはアウトドア関係者にとっては全て活動の場になるといっても過言ではないので、思いがけない出会いは起きやすい。彼等が出会うのはある意味必然でもあった。

 

そして肝心の僕自身はというと、最近はアウトドアに行きたくても行けない状況が続いているのは残念なのだが、逆に木工をすることでの思いがけない再会や、新たな出逢いが増えたので、これはこれで良しとしよう。

 

犬も歩けば棒に当たる、には、外に出ると災難に遭うという意味と、思いがけない幸運に巡り合うの2つの意味がある。このように昔の人でさえ出歩けば何か変化は起こると言うのだから、ガンガン外に出ていこう。

 

時にはマズい出会いもあるかもしれないけど、実はそれも後々プラスになることだってある。それぞれの見方、価値観が違うからこそ、見えてくる世界もある。

 

go for it!

go for it!

「きぼうのとり」を読んで

福島県天栄村を拠点にする、家具職人・お絵描き好き・編集者(Facebook原文まま)の3人からなるユニット「みず文庫」さんとお話しする機会がありました。福島県白河市南湖公園にオープンしたアトリエもさることながら、ご本人もとても素敵な方々でした。

 

僕自身初対面にもかかわらず、気さくにお話しいただきまして、出身や経歴から始まり、こどもキャンプに参加した話から自然体験、公教育、環境教育、そして震災と原発事故について、福島にいないと知りえない情報も交えてお話をすることができました。

 

その中で拝見した1冊の絵本が、タイトルにもある「きぼうのとり」でした。震災と原発事故からから10年になるのを機に、2021年3月11日に出版された、企画・福島民報社、絵・文・みず文庫さんの絵本です。

 

物語では、当時10歳で被災した子供たちの、10年たった今の姿が描かれています。

この本を読んで、僕自身忘れかけていた様々な思いが掻き起こされまして、当時被災した子供たちは、もう立派な大人になっているんだと気づかされました。

 

17歳で震災を経験し、将来は福島のためになにかやってやろうと思い、27歳の今そろそろ何かできるかなと思っていましたが、当時10歳だった子供たちでさえもう20歳、福島のために何かできる、あるいはもう何かしている「プレイヤー」になっているのかと思うと、時間の経つ速さを感じるとともに心強さを覚えます。

 

10歳の目で見た、感じた震災と原発事故は、いったいどのようなものだったのでしょう。当時高校生だった自分は、当初何が起こっているのかいまいち把握できないでいましたが、周りの大人たちの戸惑っている姿を見て、なにか大変なことが起きているのだと感じていました。当時高校生の自分ですらそうだったのですから、それが当時10歳の子供たちにはより恐ろしいものに写っていたのではないでしょうか。

 

子供は大人の背中をしっかりと見ています。大人も大人の背中を見ています。背中で勇気づけることもできれば、不安を煽ることもあります。そして、震災当時、自分を守るために動き回ってくれた大人たちの姿を改めて思い返すと、不安な感情はありつつも、トータルで思い返せば頼れる大きな背中だったと記憶しています。

 

うれしい時も悲しい時も、自分を支えてくれる存在は必ずいて、自分自身も誰かを勇気づける存在であると、物語では語られます。僕自身、震災から何年たっても何も恩返しできていないなと悔しさを感じることもありましたが、そんな自分でも実は何かできているのかなと、少し報われたような気持ちになりました。

大人になってから読む絵本は、子供の時と違った目線で楽しめるものですね。素敵な絵本でした。

 

きぼうのとりについて詳しく知りたい方は、福島民報特設サイトを是非ご覧ください。

kibounotori.jp

世代後退

 

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ジムニーJA11 ワイルドウインドリミテッド

 

先日、車を乗り換えました。就職の際に慌てて買ったホンダ・ライフから、ジムニーへ。より古い車へ乗り換えるという世代「後退」です。

 

このジムニー、JA11という今ではマニアに人気の型式で、僕が生まれる前から母が乗っていた車で、幼少期の買い物も、大学から帰省した時の送り迎えも、いつもこの車でした。そしてどのシーンでも、擦り切れたカセットテープから大きめの音でドリカムやBOØWY(Øの変換が面倒・・・)、レベッカが流れていたのを思い出します。

 

エンジン音はうるさく、振動が大きく、燃費も良くないこのマニュアル車を、母はよくぞ今まで乗り続けてきたものだと思います。しかし、昨今の悲惨な交通事故のニュースを見るうちに、最新の安全装備はおろかエアバッグすらないこのジムニーを運転するのはさすがに不安になったようで。

併せて新型ジムニーの発表も後押しし、ついに新型を購入することにしたのだそう。そしてこのジムニーJA11はもう廃車にすると聞き、それはとてもモッタイナイ!ということで、僕が譲り受ける運びとなりました。

 

ちなみにこのジムニーJA11はワイルドウインドリミテッドと言って、3,500台限定で生産された特別仕様車です。また、母は一切カスタムやオフロード走行に興味がなかったので、無理な運転はしたことがなく、パーツはほぼすべて純正品のまま残っていて大きな故障もないのがちょっとした自慢。

 

飛騨に乗って帰るとなった時は、父も母も、このジムニーの第2の人生が始まるねなんて言ってみたり。僕も、リフトアップやタイヤインチアップ、オフロード走行には全く興味がないので、優しく長く丁寧に乗り継いでいきたいと思っています。

 

さて、まずは無事に飛騨に戻ってこれてよかったです。免許取って以来のマニュアル運転にも少しずつ慣れてきまして、まずはほぼ消えかかったナンバープレートを交換(黒字印刷はほぼ消え、凹凸でかろうじてナンバーが把握できる状態・・・)したら、車内に木のテイストを足していこうと思っています。

 

さらに、荷室を広く使うためにリヤシートを外し、構造変更申請をしようと思っていたら、何年も前に父が改造申請して取り外していました。やりおる・・・ゆくゆくは車中泊仕様にもしたいです。これでキャンプや登山、釣りなんてできたら最高だろうなあ!

 

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リヤシートを取り外したら、乗車定員を2名に書き換える申請が必要。

 

オートマ車の皆さん、加速が遅いけど大目に見てね。音もうるさくてごめんね。わがまま言ってすみません。

わがままジュリエット

わがままジュリエット

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光南雪辱!聖光学院敗れる

福島県民にとって、少しばかりびっくりするニュースが飛び込んできました。

高校野球夏の甲子園出場をかけた福島県大会で、2007年から13連覇中だった聖光学院が敗れました。もし14大会連続甲子園出場となれば歴代最多タイ記録でした。

 

聖光学院高校野球部は、福島県民のみならず高校野球に詳しい人誰もが認める、県内屈指の強豪校です。僕自身が野球に興味を持ち始めたのがちょうど2006年頃だったので、それからというもの聖光学院が県大会で敗れるのを見たことはありませんでした。

 

そんな圧倒的王者でしたが、ここ数年は他の高校との力の差は縮まってきていました。聖光学院を王者とするならそれに次ぐ県内No.2ともいえる日大東北、同じく私学でしのぎを削りあう学法石川、公立の雄である光南福島商業など、聖光一強に待ったをかける状況になりつつありました。

 

そして迎えた今大会の準々決勝。相手は去年の準優勝校の光南高校。1対1のロースコアゲームで進む投手戦でしたが、均衡を破ったのは光南。8回に長打が絡み4点を勝ち越し、そのまま5-1で光南高校の勝利となりました。

 

聖光学院の連続出場の記録は途絶えましたが、記録はいつか途絶えるもの。歴代部員の皆は年々増していく連覇という重圧とも闘っていたのだと思います。いままでたくさんの名勝負を見せてくれてありがとう!

 

そして、光南高校おめでとう!近年の福島県大会で公立校で一番甲子園に近いと言われてきましたが、やはり実力のあるチームに育ってきましたね。甲子園出場となれば2006年大会のハンカチフィーバー大会以来となります。

 

福島県大会は4強がそろいました。対戦カードは日大東北郡山市-福島商業(福島市、福島成蹊福島市-光南矢吹町)。

この4校に関しては、もう大本命というものはないでしょう。例年安定して強い日大東北、今年の春の大会で準優勝した福島商業、準々決勝で優勝候補の学法石川にコールド勝ちした福島成蹊、そして聖光に勝った光南。どこが優勝してもおかしくありませんが、個人的には、実家に近い日大東北光南を応援しています。

 

準決勝は7月24日。梅雨も明け、いよいよ本格的な夏が始まる感じがします。新たな歴史の始まりを要チェック!今日も暑さに負けず元気にいきましょう。夏の到来を思わせる爽やかな一曲とともに!

 

ふたりのオルケスタ

ふたりのオルケスタ

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災害と選択の繰り返し

本を読んでいて印象に残った内容をご紹介。

 

1973年、アイスランド沖のヘイマエイ島という島で火山の噴火が起きました。幸い住民のほとんどが無事に救出されましたが、住民の約3分の1が家屋を失うことになりました。

 

これに対し政府は補助金を支給し、住民はそのお金で家を再建してもいいし、どこか別の場所へ移住してもいいことになりました。ヘイマエイ島の住民の多くは先祖代々の家業である漁業に従事し、自分自身これからも、そして次の世代も漁業で生きていくという前提で生きてきたと言います。そこで発生した噴火という災害によって、住民は自分たちがこの先どうやって生きていくのかという問題に嫌が応でも向き合わざるを得なくなりました。

そして結果的に、家を失った住民の42%が島を出るという決断をしたと言います。

 

そしてこの話には続きがあり、その後の追跡調査により、家を失って島を出た人々の生涯収入が、島に残った人々のそれを大きく上回っていたことが分かりました。

さらに、家を失わずに済んだ人々の27%も、その後島を出るという決断を下し、結果彼らの生涯収入もまた島に残った人々を上回っていたといいます。

 

この結果に対し、著者の山口周氏は、このように述べています。

どれもこれもすべて、噴火という「短期的には不幸な契機」によって、「この後、自分はどのようにして生きていくのか」という問いにしっかりと向き合わざるを得なくなった、という唯一の根本原因によっているのです。 

 

確実に言えることは、「この先、自分はどのようにして生きていくのか、これまでの人生を続けて、それでいいのだろうか」という問いにしっかりと向き合い、おそらくほとんどのケースは直感的に「それは違う」という決断を下した、ということです。 

 

全編を通して、コロナウイルスという「短期的には不幸な契機」に、自分たちがどう向き合い、これからどのような生き方を選択し、どのような社会を築いていくかを述べています。

 

コロナもそうですが、僕はこのヘイマエイ島の話に、10年前の震災と原発事故を重ね合わせながら読みました。日常の中に突如訪れた不幸な出来事に対し、多くの人が生活を変えることを余儀なくされ、人生が大きく様変わりしました。ヘイマエイ島と同様に、多くの人が、自分の生き方に向き合わざるを得なくなりました。

僕自身の身に起こったことでいえば、家計の変化で、大学の学費と入学金が一部免除になりました。もし震災と原発事故が起こらなかった場合、僕は経済的に大学に通うことができていたのだろうか、通えたとしても、収入を得るためのアルバイトに追われ、大学生活は違うものになっていただろうと、今でも思い返します。

福島のこと自体、好きとも嫌いとも何とも思っていなかったかもしれません。それが今では、福島に帰りたいと思っています。いろいろ思うことあっての気持ちです。

 

 

このコロナ禍でも、たくさんの人が生き方や働き方に対し疑問に思うことがあると思うし、それはきっと正しい。コロナ禍でなくたって、学校でも、職場でも、日常でも、ふと疑問に思ったり、すこしおかしいんじゃないかと思うこと自体、その感情自体に間違いというものはありません。

 

壁にぶつかって、選択を迫られて、選んでの繰り返しで、その壁がたまにめちゃくちゃ高かったりしますが、とにかく何かしら選択して、その道を進むことが大切なのだろうと思います。あのとき別の選択をしていれば・・・という後悔は必要なくて、すべて正解の選択になると思っています。

 

このコロナ禍で変わる社会、選ぶ道、もうすこしじっくり考えてみます。

安定したい自然と、不安定たらしめる人間

長引く梅雨と土砂災害。被害に遭われた方へお見舞い申し上げます。

 

以前お会いした造園の先生の言葉を思い出します。

「土砂崩れは、自然が自らの不安定さを解消しようとする現象。崩れることで安定した状態になる。」

土砂崩れは自然現象の一つにしかすぎず、そこに人間の暮らしが存在して初めて土砂「災害」になります。雪山の奥地で雪崩が起きても誰も気に留めないのと同じで、人間の暮らしの及ばない山奥で斜面が崩れても、僕たちの生活に影響が無ければ災害にはなりません。

問題になるのは、自然の安定した状態を、人為的に不安定たらしめている場合。一度人の手が入った場所を維持管理していく方法は2つ。これからも人の手を介入させ続け不安定さを解消するか、土砂崩れという自然の自浄作用に任せるか。

土砂災害が起きたときは、なぜその場所が不安定になっていたのかを検証することになります。無秩序な開発やずさんな造成が無かったか。近所の山や川をそういう目で見てみるのもいいかもしれません。

人の手が入るといえば、日本の森林面積の4割を占める人工林についても同じことが言えます。人工林とは木材を収穫するために作られた、いわば木の「畑」。誰だって野菜を育てるためには、草むしりしたり脇芽を欠いたり、虫や病気に気を付けたりします。苗を植えてからほったらかしにする人はほとんどいません(ほったらかし農法という言葉もあったりするけど・・・)。

木の畑も同様に、ほったらかしにしては良質な木材は得られません。それどころか、野菜畑であれば放っておいても枯れるだけで済むが、木の畑はそれだけでは済みません。

山奥から人家の近くまで、あらゆる場所に張り巡らされたスギ・ヒノキ等の人工林は、土を緊縛して土砂災害を未然に防止したり、川へ流れ込む水の量を調節する機能を持っています。こういった機能は、適切な「畑作業」があってこそ発揮されるものであって、人工林においてほったらかし農法をしてしまうと、それこそ土砂災害や洪水の元になりかねません。人工林は、もともと自然にとっては「不自然」なものであり、ではその不安定さを解消するためにはやはり人の手を入れ続けて管理するか、自然の自浄作用に任せるかしかないのです。

人の手では自然を支配しきれませんが、一度人の手を入れた場所は責任をもって人の手を入れ続けなくてはならないという事実。それとも、手入れを諦めて自然のあるがままに任せるか。里にも山にも、これ以上「耕作放棄地」を作りたくはありませんね。